昨日の朝、ようやくニューオーリンズに到着。カラッとした西海岸にたいして、こちらは、むわっとした陽気。この湿度の高さが、いかにも南部らしい。日本の夏の湿気に、さらに強い日差しが加わった気候だが、それがいかにも夏らしくてわるくない。

 ニューオーリンズでは(でも)、何の予定も入れてはいない。昼は、フレンチマーケットを覗いたり、ルイ・アームストロング公園まで歩いたり、フレンチクォーター周辺をぶらぶらと散策して過ごす。

 唯一、見ておきたかった博物館が、ブードゥー教のミニ博物館である「ブードゥー博物館」。ブードゥー教は、西アフリカ系の民族宗教の精霊信仰とキリスト教の混合した宗教で、蛇をシンボルとし、呪術、魔術、占いなどの神秘的で一種独特のあやしさが魅力となっている。「人間を生け贄にする」「悪魔を崇拝している」「呪い殺しが行われている」など、その不気味さが人を惹きつける魅力となっているのだろう。映画などでもよくそのような扱われ方をしているので、ご存知の方も多いのではないだろうか。
 
 ブードゥー・クィーンである天才的占い師マリー・ラボーの肖像画や、儀式の様子の再現、精霊の祭壇などの展示が中心。ただし、思っていた以上に小さな博物館だった。予約をすれば悩みを解決するための油やロウソクを使った儀式も体験できるようだが、それはご遠慮させていただいた。

 市内には、リバーフロント・ストリートカー、キャナル・ストリートカー、セント・チャールズ・ストリートカーという時代がかった市電がいまでも現役で走っている。市電は眺めるだけにして、午後は路線バスに乗って、普通の市民の住まいや暮らぶりを垣間みることのできる郊外へ出かけてみる。

 個人的にニューオーリンズの路線バスのおすすめコースをあげるとすれば、アンティークショップやアートギャラリー、クラフトショップなどが点在しているマガジン通りを走る#11路線バス。終点は、動物園のある広い公園ですが、そこまで行く必要はなく(もちろん行ってもいいですよ。水辺もあって気持ちのいい場所です)適当な場所で下車。ウィンドウショッピングしながら歩き、疲れたらカフェでひと休み…そんな過ごし方ができる路線バスである。

 初日の夜は、フレンチクォーターのAcme Oyste Houseというシーフードのお店で食事。1910年から営業しているという、名物食堂といった雰囲気の店。7時頃には長い行列ができていたが、一人客だというとカウンター席にすぐに入れてくれた。通されたカウンターの左隣は、白人の女性二人組。席に着くなりすぐ隣の女性から、「このお酒、おいしいから、あなたもこれを飲みなさい」と声をかけられる。

 せっかくなので同じお酒を注文。名前を聞くと「ハリーケーン」というカクテルで、ニューオーリンズの名物らしい。甘口ではあるが、ラムベースのかなり強いお酒である。

 「ハリケーン」でおふたりと乾杯をあげ、少し話をする。年齢は、わたしと同じくらいか。カーラさんとニッキーさんといって、サンディエゴからクルマで4日かけてニューオーリンズまで来たという。目的は、ゴルフ。毎年、夏のバカンスはゴルフのロードツアーに出かけるのが、ふたりの恒例行事なのだという。昨年は中西部、今年はニューオーリンズとボストンでゴルフを楽しむのだそうだ。わたしが日本から来たというと、ニッキーさんが「地震と放射能が大変だったわね」と声をかけてくれた。

 明日、ボストンに出発するといってふたりが帰ったあと、夕食に、生牡蠣半ダースと、ルイジアナ風炊き込みご飯「ジャンバラヤ」を食べる。

 それから、今日は久しぶりにプールで泳ぐ。小さなプールだったが気持ちいい。

・腰痛軽


ジャクソン広場のすぐ隣にある、観光案内所。まだまだ印刷物が活躍。





「写真を撮ったら、魂が奪われる」、そんな噂は聞かなかったのでブードウー博物館の
展示室を撮影。受付の人も「撮影OK」ということでした。





#11番バスの終点となっている公園。さすがにここでは観光客も見当たらない。





うっすらと空が明るくなってきた。車窓からの風景も濃い緑に。

 二日目は、ずっとテキサス州を走っていた。テキサス州は、アラスカ州に次いで全米でニ番目の面積。日本の約1、8倍強にあたる。そのテキサス州を、朝6時にエルパソ、そこから12時間走って夕方6時30分頃サンアントニオ、そして夜11時、ヒューストンの3都市でバスを乗り換え、さらに深夜2時にORANGEという町を経て、ようやく走り抜けた。そこからは一気に、ルイジアナ州ニューオーリンズを目指す。

 バスの乗り換えや、休憩地点でのおおよその行動も戸惑うことはなくなったが、とにかくバスの中の寒さ、窮屈な座席、寂しい食事が続くのはさすがにこたえた。ただ、それ以上に、車窓から見える地平線まで広がる砂漠の風景や、さらに大きな青い空、真っ赤な夕陽を見ることができたことのほうが、いつまでも心に残るだろう。

 テキサス州からルイジアナ州に近づき、確実に緑が増え、濃くなっていく風景を見ながら、「もう少しで南部なんだな」と元気が湧いてきた。夜間は暗闇で何も見えなかったが、日の出を迎え外の景色が目に入ってくると、道路脇に沼地や水辺の風景が飛び込んできた。

 朝7時、ニューオーリンズのバスターミナルに無事到着。心配していた荷物も、しっかりと終点まで一緒についてきてくれた。三日間お世話になったグレイハウンドバスの旅もここで終了。

・腰痛復活



南部に近づくにつれ、沼地や水辺の風景が目に見えて増えてゆく。




明け方、まだぐっすりと眠っているお隣さんたち。





二日目の明け方、砂漠の中に住居の明かりが見え始めた。もうじきエルパソだ。


 午前3時頃、ニューメキシコ州のローゼンバーグという街で15分の休憩。朝5時過ぎ、テキサス州に入った頃、地平線が徐々に明るくなっていく。エルパソに近づくにつれ、砂漠の中に家々の明かりが見えてくる。

 朝6時、メキシコとの国境の街、テキサス州エルパソに到着。ここでまた、バスの乗り換えである。バスを降り、グレイハウンドのバスターミナルに入ると、すでに出発を待つ人たちの列が何本かできている。行列の先のドア(改札)には行き先の地名ではなく、数字表示しかないので、何番がどこ行きかわからない。見当をつけて、列に並ぶ人に「この列は、サンアントニオ(次の乗り換え地)行きですか?」と確認。うっかり間違った列に並ぶと、どこか別の街へ向かってしまう。

 エルパソからの乗車組は、ヒスパニック系と黒人、そしてアジア系はわたしだけとなった。 車内は、完全にスペイン語の世界。 ドライバーだけは白人で、英語で「あと○分でどこそこに到着する。そこで○分休憩する」と、話すのだが、年配の方は英語も理解しないようで、同行の娘さんや近くの席の英語のわかる人が、お年寄りに通訳してあげている。

 グレイハウンドに乗って2日目。バスは、ニューメキシコからテキサス西部の砂漠地帯を東に向けてひたすら走っていく。地平線の彼方まで広がっている荒涼とした砂漠を眺めながら、ジョージア・オキーフの住まいを写した写真集『オキーフの家』を思い出す。ニューヨークから移り、彼女が後半生を過ごしたのは、たしかニューメキシコ州の、こんな風景の中の一軒家だった。こんな世界に一人で移り暮らす(お世話をした人はいた)とは、一体どんな気持ちなのだろう…。

 バスの窓に寄りかかりながら、漫然と、赤茶けた砂漠地帯を眺めているうちに、砂漠よりもさらに広く、地平線の先まで包み込んでいる青い空に目が映っていく。

 ずっとルートが一緒だったヒスパニックか黒人かの眼光鋭いおばあさんがいて、誰かに似ているのに、なかなか思い出せなかった。ようやく今になって誰に似ているのか思い出した。晩年のマイルス・デイビス。本当によく似ていたんですよ。

・腰痛重




砂漠を包み込むように大きく広がる青い空が美しい。その青い空の向こう側を想像する。
空の向こう側に様々な国があり、多くの人が生きていて、
そこではたった今も、いろいろなことが起きていると、想像できるだろうか。





2時間に1回ほどの休憩地点。ガソリンスタンドとコンビニ(右奥)が
セットになった場所が多い。左手奥にグレイハウンドバスが見える。





カリフォルニア州からアリゾナ州に入る。荒涼とした風景の中をひたすらバスは走る。

 9時にホテルをチェックアウト。7thSt駅近くの「ス」で朝食。11時にグレイハンドバス・ターミナルに到着。ロスからニューオーリンズまでは、バスに乗り続けて二日間の行程。メキシコ国境に並行するように米国南西部のルート約3,000kmを、途中4カ所の街でバスを乗り継ぎながら行く。

 ターミナルに着いたら、まずは手荷物を預ける。グレイハウンドバスの仕事の質や職員さんたちを信用していないわけではないが、ニューオーリンズまで手荷物がわたしと一緒に来てくれるのか、いささか不安である。預けるのは避けたい(やはり、信用してないってこと?)が、とはいえ、バスの座席の足下に、二日もとても置いてはおけない。よく考えれば、万が一行方不明になったとしても「それほど大切なものを持ち合わせているわけではない…」ということにして、荷物を預けることにする。

 12時15分にロスを出発。SAN BERNARDINO(カリフォルニア州)、BLYTHE( カリフォルニア州)、PHOENIX(アリゾナ州)、LORDSBURG(ニューメキシコ州)を経て、明日の朝6時にテキサス州のEL PASO(エルパソ)に到着予定。エルパソまでは、18時間。そこで最初のバスを乗り換える。 アリゾナやニューメキシコ、テキサス州の地図を手元に持ち合わせていないので、どの街がどのあたりか想像もつかない。

 バスに乗り込んだ乗客は、30名ほど。若干名の黒人とわたしの他1名のアジア系を除いて、ほとんどはヒスパニック系の人たちである。車内の標準語は、すっかりスペイン語に。観光という雰囲気は感じられず、必要があるから乗っている…そんな表情が伝わってくる。もちろん、わたしの思い違いということもあるだろうが。ただ、西海岸のアムトラックの乗客のほとんどが白人で、いわゆる観光客然とした人が多かったことを考えると、同じ長距離移動の乗り物でも、乗車の目的や客層、雰囲気は随分と違う。

 グレイハウンドバスについては、長距離バスというイメージが強かったので、バスの設計や機能などにも、長時間乗っていても疲れないような工夫があるのかと期待していたが、わたしが乗り継いだバスには、残念ながらそのようなものは見当たらなかった。あるのは、最後部のトイレくらいか。(HPによると、特別仕様のバスもあるようだが…)

 バスの大きさは、日本の大型バスとそれほど変わらない。座席幅が、若干広い程度。どのバスも、十数年も前に減価償却は終えているのではないか、と感じられるほど古く、天井の照明のカバーなどは落ちないように何カ所もガムテープが貼られていた。ドリンクホルダーもなければ簡易テーブルもないし、シートベルトなどは過去に着いていた形跡さえもない。もちろん安全基準はクリアしているのだろうが、それはバスが故障しないという基準であって、乗客の安全対策ではないような気がする…。

 休憩後に発車する際には、客が全員乗ったかの確認もしないので、置いていかれないように近くの乗客に自分の存在をアピールしておくことも必要である。周囲の記憶に残りにくい後部席には座らず、乗り降りも楽な前から5列目辺りまでの席を確保する。

 この同じ空間にしばらく乗っていると、それほど言葉は交わさなくても、不思議と乗客の一部には「俺たち、同じ運命だから…」的な意識が感じられる。わたしが休憩場所で別のグレイハウンドバスにうっかり乗ろうとした時(もちろん、間違えそうになるわたしもわたしだが、どちらのバスも、まったく同じようなくたびれ方をしていたのだ)には、

 「おいおい、お前さんのバスはそっちじゃないぜ、俺たちはこっち、こっち」と、斜め後ろの席のおじさんに呼び止められたこともあった。「そっちに乗ったら、また逆戻りだぜ」と、やはり一人で乗っていた若者と三人で大笑い(わたしだけ苦笑)したこともあった。

 ドリンクホルダーもテーブルもシートベルもない、くたびれたバスだったが、エアコンだけは凍えるほど効いている。いまの日本でこの温度設定は、とても考えられない。エアコンの効き過ぎは、バスに限らず、電車、カフェ、ホテルなど、室内ならどこも同じだが。列車でも寒さ対策に毛布を持ち込む乗客は多いが、バスで目立っていたのは、マイ枕を持参する客。

 バスは、ターミネルを出発すると、すぐにフリーウェイに入り、あとは淡々と走り続ける。渋滞もなく、一定速度で巡航していく。フリーウェイから外れる時は、中継地点のバスターミナルやバス停(多くはガソリンスタンドとコンビニが併設された店)に寄って、乗客を降ろしたり、新たに乗せる時だけである。時間も、思いのほか正確であった。

・腰痛軽




見渡す限りの砂漠。




パームスプリングスという街を過ぎしばらく走ると、原野の中に見渡す限りの風車が
整然と立ち並んでいた。100基まで数えたがとても数えきれない。1000基以上あったのでは。




最初に乗った「DALLAS」行きのバス。途中で乗り継ぎエルパソへ向かう。





途中の休憩地点で車内を撮影。残っている人たちは、みなぐっすり寝ている。




夜8時、見たこともないほど真っ赤な夕陽が砂漠のむこうに沈んでいく。





 6時起床。ロス滞在も、今日が最終日。USARailPassを使って、7時35分ロス発のパシフィック・スーパーライナーに乗り、日帰りでサンタバーバラへと向かう。片道約3時間。サンタバーバラはロサンゼルスの北に位置する街で、白壁とオレンジ屋根の南スペイン風の美しい街づくりで知られている。サンフランシスコからロサンゼルスに向かう途中の車窓から眺めた時に、「この街は、ぜひ自分の足で歩いてみたい」そう思った街である。

 10時30分、サンタバーバラ着。まずは、帰りのチケットを購入。なにせ、ロスに戻る午後の列車は2本しかないのだ。ここで帰りの列車のチケットが「SOLD OUT」となってロスに帰ることができなくなったら、明日のニューオーリンズ行きまで危なくなってしまう。「詰めの甘さ」を思い知るのは、しばらくご遠慮願いたい。

 サンタバーバラの主な見どころは、メインストリートであるState St.沿いに集まっている。距離にして約2Kmほどなので、歩くにはちょうどいい。サンタバーバラ・カウンティ・コートハウスなどを見学したり、書店を覗いてみたり…2時間ほど散策。昼過ぎに「ス」でひと休み。列車が到着するまで少し時間があったので、スターンズワーフ(埠頭)まで足を延ばし、パームツリー並木の美しい海岸線や、そのむこうに広がるオレンジ色の屋根と白壁が続く町並みを眺めながら過ごす。

 2時発のサンディエゴ行きパシフィック・スーパーライナーに間に合うように、アムトラックの駅へ戻るが、列車がやってくる気配はない。今日もいつも通り遅れている様子。ホームではのんびりと観光客が、列車の到着を待っている。その中に一人、日本人と思われる男性がいた。年はわたしより少し上か。英語で声をかけようか、日本語にしようか少し迷ったが、今回はストレートに聞いてみた。「こんにちは。もしかして、日本の方ですか…」

 それから少しして列車がホームに到着。 ロスまでの帰りは、その方(Kさん)と一緒に話をしながら、あっという間の3時間となった。

 Kさんは、ロサンゼルスに暮らして30数年になる日本人。大学を卒業して1年後に渡米し、それからずっとロサンゼルス暮らしという。

「今日は、友人と一緒にヨットに乗ってロサンゼルスからサンタバーバラまでクルーズしながら(ヨットを)運んできたんです。ヨットレースに出る友人とヨットはサンタバーバラに残して、わたしだけロスに戻るところです。朝4時にロスの港を出港して、9時間もかかってしまいましたよ。ずっと向かい風だったのと、沖はさらに風が強かったのでね…。こちら(米国)にきて30年以上になりますが、アムトラックに乗るのは今日が2回目。どうやって乗るのでしょうね…」

 Kさんは、東京神保町の出身。学生時代からサーフィンに夢中だったことと、当時創刊されたばかりの雑誌『POPEYE』などの影響で米国西海岸に興味をもち、20代前半にこちらに移住。貿易業を営みながら、ロサンゼルスでの生活を楽しんできたのだという。

 「サーフィンから始まって、テニス、ゴルフetc…、いろいろ好きなことを存分に楽しんできました。料理に凝った時期もありましたよ。うどんを打って、お客さんに食べていただいたりね。そして、今はヨット…、8年前からヨットに夢中になっちゃって」

 それからひとしきりヨットの魅力や、半年ほど前に日本に行った際、九州や瀬戸内海を旅行して、各地のヨットハーバーをチェックして回った時の話などを楽しく聞かせていただいた。

 そのほかにも、実家が印刷業だったそうで、小さな頃に身近に見ていた活版印刷の話、米国人の仕事の流儀、某人気雑誌の有名編集者が取材チームを率いてロス取材に来た時にコーディネート役を引き受けたこともあるそうで、その時の取材裏話など、Kさんのロスでの生活や仕事のことなど話は尽きず、あっという間の3時間となった。話があまりに楽しく、二人ともロスで乗り過ごしてしいそうになったほどである。

 Kさんがいま計画していることが、ヨットで日本の海岸線を旅すること。伊豆の松崎港にも帰港するかもしれないという。「その際には、ぜひ松崎でお会いしたいですね」と言葉を交わして、ロスのユニオン駅でお別れした。

 明日は、いよいよグレイハウンドバスでロスを出発である。スーパーマーケットで車中での食料を買い出しして、早めに就寝。

・洗濯
・腰痛無



サンタバーバラで唯一見かけた書店「THE BOOK DEN」の店内。エミー・タンとブローティガンが平台に並んでいる。ブローティガンは人気があるのか、それとも店主の趣味か。




サンタバーバラのアムトラック駅。スペイン風の駅舎。




列車を待つ人々。時刻に遅れても誰も騒がず、何ごともないかのように待っている。
写真の枠外にKさんがいた。





ロスではよく通ったグランドセントラルマーケット。メキシコ人街の市場。バナナ3本、リンゴ3個で120円、とにかく安い。市場の中の食堂は、どこも味・量・値段ともに◎。


 米国シアトルに着陸したのが7月15日。それから早いもので、すでに10日を経過している。今回は、シアトルからサンフランシスコ、そしてロサンゼルスを旅行中に、わたしが食べてきたものを一部ご紹介したい。おいしいものを食べ過ぎて、旅行太りしてしまった…、そしてとうとう自慢せずにはいられなくなった…などということでは残念ながらありません。

  …ではなくて、こちらに来てから○キロも体重が減ってしまったのである。わたしとしては過去に例を見ないほどの急激な減量。これはいけない…ということで、今日は自分の食生活を振り返る…ブログであります。

 朝食は、ほぼ毎日下の写真のような内容。後は、カフェでサンドイッチ。もう一食は、こんなもの(下の写真参照)を食べてきました…。振り返ってみると、1日の食費は、平均して1200円から1500円ほど。こうしてみると、いつも同じようなものを選んでいることがよくわかる。食事においても、いかに保守的か…。きっと栄養が偏っているうえに、何かが足りない…のであろう。



これは、ロスからサンディエゴに向かう列車の中での朝食。リンゴがバナナになるか、そして牛乳またはオレンジジュースとヨーグルトが加わるかの違いはあるが、ほぼ毎日同じような朝食。卵料理と新鮮なサラダがないのがさみしい。



グランドセントラルマーケットの中でいつも賑わっていたチャイナカフェ。
客は地元のメキシコ人の常連さんばかり。中華風メキシコ料理といったところか。


左はチャイナカフェのチキンonフライドライス。右は、チキンヌードル。


左はやはりチャイナカフェのチキン・ベジタブルonライス。右は、ホートンプラザのモンゴリアンバーベキュー。


シアトルの南越餐館というベトナム料理のお店での食事。


サンフランシスコのビジネス街にあるDELIのテイクアウト。肉、シーフード、野菜、サラダなどの料理を好きに選べる。値段は重さによる。







グランドセントラルマーケットの中の有料の体重計。多くの客が食事している中、若い女の子が颯爽と体重を計って去っていった。


 ということで、ロスからニューオーリンズへの約2700Kmの移動は、バスに決定。グレイハウンドバスは今回が初めての乗車なので楽しみではあるが、初体験でいきなり二日間のバスの旅というのは体力的にどうなんだろうか、想像がつかない。しかも、早朝(エル・パソで朝6時)と深夜(ヒューストンでは深夜12時)含めて、途中で4回もバスを乗り継がなくてはならない。心配なのは腰…、それに食事やトイレはどうするのか、寝過ごしたら、バスに酔ったら…。いずれにしても、乗ってみればわかるだろう。

 同じバスでも、わたしがよく乗っているバスが路線バス。シアトルでもサンフランシスコでも、ここロサンゼルスでも。現地での主な移動手段は、路線バスを使うことが多い。街並をのんびり眺めたり、乗客の様子や会話に聞き耳を立ててみたり…、それに費用もかからないのもいい。ロスでは、1回$1.5(120円程度)で、どこにでも行けるのだ。



ベニスビーチに行く時に利用した33番線バス。車内は、有色人種の人が多い。お年寄りなどが乗ってくれば、多くの人はだまって席を譲るし、譲られた人もとくにお礼など言わず当たり前のこととして座っていました。私が乗ったバスでは、総じて車内のマナーはよかった。時間は1時間ほどかかったが料金は120円程、往復240円。

車イスの方もよく乗車してくるのですが、ほとんどの方は一人で乗ってくる。運転手さんがサポートして、車内での車イスの固定などを手伝ったりしますが、道路とバスの高低差が小さいし、昇降口は大きく設計されていて、大きな手間も、時間もかけることなく利用できるようです。




混み合う前の車内。わたしの旅先でのささやかな趣味の一つに、路線バスの座席レイアウト図描きがある。限られた空間の中に、昇降口、車イス席、座席などを配置して、いかに安全で効率的に、快適に乗車できるか…、目的は共通でありながら、座席の配置などはバスにより様々な点が興味深い。世の中に「交通機関座席レイアウトデザイナー」などという職種はあるのだろうか。ご覧いただけるとお分かりになると思いますが、こちらのバスの床は完全にフラット、すっきりとして安全なのである。




こちらはサンフランシスコのバス。ロサンゼルスのバスと座席レイアウトはかなり似ているが、後部座席の向きがロスは内側に横向きなのに対して、サンフランシスコのバスは、後ろ向きのボックス型に配置されている。最大乗車人員の違いだろうか。



おまけ。サンフランシスコの市街地と郊外を結んでいるバート。市街地では地下を走っている。車内の右壁に自転車のイラストが見えるが、車内に自転車を持ち込む人は多い。バスの場合は、バスの前に自転車を乗せて走る。



 


ロサンゼルス、ユニオン駅の構内。

 昨日の夕方、アムトラックでロサンゼルスとニューオーリンズを結ぶ「サンセットリミテッド号」のチケットが2週間先まで売り切れていることがわかった。すべては、事前確認を怠った自分の責任。自分の詰めの甘さを自覚するには、時々このような試練が必要なのである。

 「サンセットリミテッド号」はロサンゼルスとニューオーリンズ間の約2700Km結んでいる列車。 いわゆる西部劇に出てきそうな荒野や砂漠地帯を想像していたわけですが、そんなアメリカ西南部をメキシコとの国境に沿って、約48時間かけて横断している。この区間は、今回の旅行の大きな楽しみのひとつだった。その列車に乗れなくなってしまった。

 今朝立てた今日の目標ー
 ・今日中にニューオーリンズまで行く方法を決定する。
 ・チケットを確実に手に入れる。
以上、2点である。

 気は進まなかったが、確実なのは飛行機で行く方法。明日発の国内線のチケットを購入できるかイエローページを見て、航空会社に電話してみる。電話がかかり、受話器の向こうで受付が喋り始めたが、何をいっているのかさっぱりわからない。申し訳ないが「Sorry」といって受話器を下ろした。電話をかけながら、飛行機を使うのはできれば避けたい、という思いが消えない。

 もう一度ユニオン駅に行き、サンセットリミテッド号のキャンセル待ち、他のルートでニューオーリンズに入る方法はないか、聞いてみることにする。

 またまた長蛇の列に並ぶ。米国西海岸最大の都市ロサンゼルスに、アムトラックの駅はユニオン駅の一つ。しかも窓口は3つしか開けていない。これでは混むわけである。

 順番が来て男性の職員にサンセットリミテッド号のキャンセルは出ていないか確認するが、やはりすべてSOLD OUTということである。シカゴ経由でニューオーリンズまで行けるという。頭の中で「シカゴといえば、たしか五大湖の近くだったはず、何日かかるんだろう」と思いながらも、それが今の流れならそれに乗ってみようと決め、空き席があるか調べてもらう。しかし、こちらも残念ながらSOLD OUTだという。

 そこまで調べてもらったところで、「後ろにたくさん並んでいるから、あなたの対応はこれでおしまいね」という感じで「Next」との呼び声が。。。

 駅のベンチでアムトラックの時刻表をもう一度開く。どこか見落としはないか、ローカル線でいいから、ロスとニューオーリンズを結ぶ線路がないか、調べてみる。遅めの昼は、駅の中の「ス」に入り、Wi-Fiに繋げてネット調べながら、コーヒーとサンドイッチ。そうこうしているうちに時間は過ぎていく。

 もう一度行列に並び、シカゴ経由の場合の予約可能日を聞いてみることにした。それでも会話の始めは、「サンセットリミテッド号のキャンセル待ちはないか」から。すると「日曜日なら取れる」という答えが。やはり粘ってみるものである。日曜日の便を予約して、チケットを発行してもらい、なんとか今日の目標達成である。

 チケットを受け取り駅構内のベンチで、ほっと一息つく。時間は、もう夕方の6時。大切なチケットをもう一度確認して、 今日はホテルに帰ってゆっくり休もう。もう何度も購入したアムトラックのチケット。出発地と目的地が明記されていることはわかっている。でも、手元のチケットのどこにも「NEW OLREANS」という文字がない。…おかしい。「NEW OLREANS」とあるべきところに見慣れない文字が。

 詰めの甘さを反省したばかりである。今日だけで何度目になるだろう。また行列に並び、このチケットを発券した職員にあたるよう、うまく順番を調整。ようやくわたしの番がきた。

 「さきほど発券してくれたこのチケットなんだけど、NEW OLREANS行きの
  はずなのに、どこにも書いてないよ。このFlagstaffってどこ?」
 「そこは、アリゾナだね」
 「…で、そこで乗り換えてNEW OLREANSに行けるわけですか?」
 「いや、いけないね。Flagstaff止まり。そこからはどこにも行けない」
 先ほどチケットを購入する際に提示したメモ帳を見せながら
 「わたしは、NEW OLREANS行きのチケットを申し込んだんですよ」
 「オー、ソーリー」
 
それから、もう一度NEW OLREANSを調べてもらったが、やはりすべてSOLD OUT。
さすがにその職員も申し訳なさそうに
 「ソーリー、ソーリー」
である。
 「もういいよ、わかったから…」

6時過ぎて、振り出しに。

もうすっかり馴染みになった「ス」に入るにも、コーヒーはもう飲みたくない。もしかして、と思い「ス」に一番近い駅のベンチでPCを開いてみと、画面に扇形のアイコンがしっかり表示された。「ス」のWi-Fiはattが提供していて、安定感があることは実証済みである。これで、存分にネットにアクセスできる。

 やはり飛行機しかないかな、と思い航空会社のサイトにアクセスしていろいろ調べている時に、そういえばアレを忘れているじゃないか…とひらめく。

 そうだ、バスがある。グレイハウンドバスが…。「真夜中のカウボーイ」がニューヨークを目指したグレイハウンドバスが。さっそくグレイハウンドバスのサイトにアクセスして、ロサンゼルスからニューオーリンズまでを入力すると、しっかりとルートと時間、料金が表示された。よし、これで行こう。

 グレイハウンドバスのロサンゼルス事務所が、24時間営業していることを確認。ユニオン駅から7ThSt駅に行き、そこから#60バスでグレイハウンドバス・ターミナルへ。バス停で、やはりグレイハウンドバスに乗るという中国から来たという大学生グループと一緒になり、お喋りしながらターミナルへ。

 ターミナルでは、あっさりとグレイハウンドバスのチケットをゲット。木曜日の12時に出発して、エル・パソほか4カ所で乗り継ぎ、土曜日の朝ニューオーリンズ着。まる2日間の乗車。ルートは、「サンセットリミテッド号」と同じである。

 夜10時過ぎ、ようやく本日の目標達成…長い一日だった。

・腰痛軽


ロスからニューオーリンズまでの10枚綴りのグレイハウンドバスチケット。
10枚綴りというのは、それだけ中継地点が多いということ。左下は、地球の歩き方「アメリカ南部」。





パシフィック・サーフライナーに乗ってサンディエゴに到着。
シアトルから始まったアムトラック西海岸縦断の旅も、ここでひと区切り。


 6時起床。顔を洗いシャワーを浴び、そのままメトロに乗ってユニオン駅へ向かう。今回の米国西海海岸縦断では最南端の都市となるサンディエゴには、ロサンゼルスから日帰りで出かけることにした。

 ロサンゼルスからサンディエゴまでは、片道約3時間。 7時20分発のパシフィック・サーフライナーに間に合えば 10時過ぎに着く。だが、ギリギリの時間になってしまった。 車内で食べる朝食用に売店でパンを買い、そのまま列車に飛び乗る。本来であれば、USARailPassの場合でもチケットを購入(0円ですが)しなければならないのだが、それでは間に合わない。こんなときは、とりあえず乗ってしまうのが肝心。後は、「USARailPass」という印籠を見せればなんとかなるだろう。

 列車が動き出してしばらくして、はたして車掌さんがやってきた。もちろんチケットの確認である。先方が言葉を発する前に、まず、こちらから「Good Morning」と声をかける。そして、おもむろに「USARailPass」を提示する。

 車掌さんは、なにやら(わたしが想像するに「これはこの列車の切符ではない。切符を見せなさい」というようなことを)言っている。相手の目を見て「ここにあるUSARailPassは、あなたの会社であるアムトラックに、15日間も乗ることのできる特別な切符である。それをわたしは持っている。ほらココにね。」とテキトーな英語だか日本語だかわからない単語を繰り出して、ゆっくりと語りかけた。

 すると彼は、「オレはUSARailPassなんて見るのは初めてだけど、たしかにそのようだね。わかったよ。OK。この席でいいね」のような言葉を発して去っていった。わたしの気分としては、これこそ以心伝心を絵に描いたようなシーンだった。

 10時過ぎにサンディエゴに到着。サンディエゴについて知っているのは、米海軍の街であることと、先月の読書会のテキスト「思想地図β」で紹介されていたホートンプラザ(ダウンタウンの一角をショッピングモールとして再開発して成功した最初の事例だそうだ)程度。時間があれば、30キロ先のメキシコまで行きたいところだが、それほど余裕はないので、ホートンプラザを見学してフードコートでお昼を食べ、近くを散策して帰る。

 夕方6時頃、ロサンゼルスのユニオン駅に到着。明日は、ロスを離れてニュオーリンズに出発。ロスーニューオーリンズ間は、今回の旅行で一番楽しみにしていたサンセットリミテッド号に乗る予定。メキシコ国境沿いの荒野(勝手に想像しているだけです)を、48時間かけて横断し、南部の街ニューオーリンズに向かうのだ。


 チケットを買う人々の長い列に並び、ようやくわたしの順番がやってきた。
窓口の女性駅員さんに、
「明日出発のサンセットリミテッド号のチケット、ニューオーリンズまで1枚」
と伝えると想定外の返事が返ってきた。
「サンセットリミテッド号は、明日は出発しません。
 日曜、水曜、金曜日の週3本のみです」

「えっ、そんなはずは…」
と思いつつ、頭の中の奥の方からかすかに
「そういえば、そんなことが書いてあったような…」
と小さくささやく声が聞こえる。
詰めの甘さは、こんな時に、このようにして顕在化する。
「オレらしいな…」などと、感心している場合ではない。

こうなればロスの滞在を2泊延ばして、水曜日の列車に変更するしかない。
「それでは、水曜日のチケットをください」
と伝える。パソコンをカタカタ打っていた彼女が、今度は
「水曜日の列車のチケットはソールドアウトです。
 次の金曜日の列車も、日曜日も、みんなSOLD OUTですね。
 2週間先なら買えますが、どうします?」

それはマズい、マズすぎる。
ホテルは、明日チェックアウトだし…。

「2週間先なら、いりません」
と、なんとか答え、駅を後にした。
線路は走っているのに、乗れないなんて…。

ニューオーリンズが、荒野が、遠くに去っていく…。
9時過ぎにホテルに帰る。とにかく寝場所だけは確保しておかなくては。

まっさきにフロントに行き、受付の男性に
「予定のチケットがとれなくて出発できない。
 もう一度チケットを確保するために行動するので、明日はチェックアウトはしない。
 様子次第で何泊になるかわからないけど、延泊できますか?」
と申し出る。すると彼は目の前にあるパソコンをチェックすることもなく
 「It’s OK!」
と即答。
「そんなにこのホテルは、ヒマなのか…」
でも、いまとなっては、そんなホテルに感謝。

ジタバタしても始まらない。今日はもう寝よう。

・腰痛軽



アムトラックの車掌さん。駅には改札がない変りに、車掌さんが列車の搭乗口ごとに配置され、乗客のチケットを切る。アナログな方法だけど、1日数便であれば、この方法が実は効率的でコストもかからないのかもしれない。



サンディエゴのアムトラック駅Santa Fe駅。
どこの街でも駅や道路の名前は同じような名前が多い。




ロサンゼルスからサンディエゴまでは海岸線を走る。このようなビーチが続く。




海岸沿いにはずっとキャンピングカーが…。キャンプやキャンピングカーで過ごす人が多い様子。





 7時30分起床。べニスビーチの場所と交通手段を調べる。

 昨日列車の中で、「音楽が好きならどこがいいかな」とローラさんが考えてくれている時に、後ろの席の女性が振り向いて「ロスで音楽を楽しむなら、やっぱりべニスビーチよ!あそこに行けば世界中の音楽が聴ける。しかも、ぜ〜んぶタダでね!」と身を乗り出して(本当に身を乗り出して)教えてくれた。

 今回ロサンゼルスは、米国南部の街ニューオーリンズとを結ぶアムトラック「サンセットリミテッド号」との乗り継ぎ地点程度にしか考えておらず、何も調べてこなかった。こんな時は、ナマの情報はありがたい。ネットやガイドブックは情報過多で、かえって判断が難しい。迷ってしまう。

 「あれは貧しい人たちの利用するもの」とローラさんは話していたが、やはりメトロという路線バスで行くことにする。バスは地下鉄と違って街の風景が見えるのがいい。それに乗客との距離間が近くて、その街の空気に近づける気がする。

 宿泊場所の近くに、デニスビーチを経由する33番線のバスが走っていることを地図で確かめる。だが、そのバス停がなかなか見つからない。ブロックごとにあるバス停にバスが止まるたびに運転席まで上がり、33番線のバス停を尋ねてみる。だが、どの運転手もわからないという。5台目の運転手がようやく「スプリング通りを走っているから、そこに行きなさい」と教えてくれる。

 33番バスに揺られること、約1時間。ようやくべニスビーチに到着である。
 
・腰痛無
 


打楽器中心のアフリカンミュージックバンド。
ノリのいいリズムが心地よく響く。




ラテンのリズムにのせて電子バイオリンでクラシック風の曲を弾く若者。
上手な上に、喧騒の中に響くバイオリンの音色が、一層魅力的に聞こえる。


 


グレイトフルデッドのジェリー・ガルシア のような気持ちいいギターを
弾いていたシニアバンド。もう何年ここで演奏しているのだろう。




ひとり淡々とギターを弾く若者。




超絶的なテクニックでターンテーブルを扱っていたDJ。
ティーンの観客から「すげ〜」みたいな感嘆の声が…。




ここではビジュアル系バンドにも出会える。決めのポーズは、万国共通なんですね。
右のおじさんの背中、ボブ・マーリーも万国共通。自転車もウェストコースト仕様。




ベニスビーチの浜辺は、こんな感じでした。




おまけ。70年代にタイムスリップした気分に。100%カリフォルニア…!?





コーストスターライト号に再び乗車。一路、ロサンゼルスに向けて12時間の旅。
 
 6時起床。荷物をまとめてチェックアウト。バートに乗ってEmbarcadero駅に行き、そこからゴールデンゲートフェリー乗り場にあるアムトラックバス発着所まで歩く。

 7時までに着けば「early」には間に合うだろう。7時5分に到着。乗客と思われる人が10数名ほどベンチで待っていた。ロサンゼルスまでは12時間、夜10時には着くので結局荷物は預けずに、手荷物として持ち込むことにする。

 予定より1時間ほど遅れてコーストスターライト号は出発。朝食用のリンゴとパンは用意していたが、温かいコーヒーが飲みたい。売店が開くまでの間、ラウンジカーで景色を見ながら待っていると、隣にコーヒーを手にした女性が座った。「そのコーヒーは、どこで買ったのですか?」と聞いてみる。「これは乗車前に買って、持ち込んだのよ」とのこと。「よかったら、どうぞ飲んでみて。とってもおしいから」とすすめられる。ありがたく、カフェオレをいただく。

 結局ロスアンゼルスまでの道中のほとんどを、この女性と話をしながら過ごすことになった。いよいよ「会話」である。。。

 彼女はローラさんといって、サンフランシスコのバークレーで哲学を教えている先生。若い頃に学生運動やヒッピームーブメントを経験していたということなので、 年齢はわたしより一世代上のあたりか。彼女からは、東日本大震災のこと、今回の原発の日本政府と東京電力の対応の悪さに、米国民の日本への信頼が大きく失墜してしまったこと、一方でカリフォルニアにも原発があるのに、なにも声を上げない米国人への不満なども聞かれた。

 また、カリフォルニアが日本の文化から多くの影響を受けたことや、第2次世界大戦で多くの日系人が不遇の目にあったこと、われわれアングロサクソン系は正義でインディアンは悪というイメージがあるけど、それは間違っている…など、話題の豊富な方だった。

 「そんなあなたの考えは、アメリカではポピュラーですか?」と聞いて見たところ「残念ながらそうではないわね。たぶん…高学歴の人中の、しかもほんの一部の人の考えに過ぎないと思うわ」とのことだった。

 そんな進歩的な考え方をする彼女ですが、わたしが「ロスアンゼルスでは、バスで移動するつもりです」と話すと、「えっ、バスですって?あれは貧しい人たちの乗り物よ」というあたりが面白い。

 「わたしたちバークレーとスタンフォード大学は、ライバルなの。こっちは公立で、むこうは私立。スタンフォード大は、職員の給料もとっても高いの。とにかくお金なのよね」「サンフランシスコはカルチャーね、ロスはエンタテイメントの街」「中西部の自然は本当に素晴らしい!でも、人間はとてもつまらないわ」みたいな話もおもしろかった。

 途中からは、ロザンゼルス生まれ(もうながいことサンフランシスコのバークレーに住んでいる)の彼女が、ロスでのおすすめスポットをあれこれ教えてくれ、とても楽しい道中となった。


 …では、これらの話をどのようにしていたか…である。答えは簡単で、筆談と単語の羅列の繰り返し。ただ、彼女との会話がロスに着くまでの数時間も続いたのは、それだけではないと思う。その理由をあげるとすれば、以下の3つによるのではなかったか。

 ひとつ目は、彼女が教師であったこと。わたしのたどたどしい英語ともいえない単語の羅列を、辛抱強く、じっと待ちながら聞いてくれた。時には辞書を引くのも手伝ってくれたり。それは、教師であることと切り離せないのではないか。出来の悪い生徒の扱いをよく心得ているという点においても。彼女は「early、early、early」などとは、決して言わないし、急かさないのである。

 二つ目は、進歩的な考えの持ち主で、自分とは違う人間にたいする興味・関心が強かったこと。固定観念に捕われず、自分が興味を持てば素直に知りたい、という欲求の持ち主だったように思う。

 三つ目は、彼女が日本人に親近感をもっていたのではないか、という点。実は、彼女の高校時代のボーイフレンドは日系人だった。強制収容所に入れられた経験のある彼の両親は、子供の教育に厳しかった。多くの学生がパーティやらドライブやらを楽しんでいた時に、彼はいつも勉強、勉強、勉強だったという。

 その後、彼は弁護士に、彼の弟さんは医者になった。そんな身近にいた日系人のまじめな姿勢に好感を持っていた様子。そのせいもあってか、日本から西海岸に来た日本人に多くの友人ができたと語っていた。そのような彼女がこれまでに出会ってきた多くの日本人との良い経験も、わたしに我慢強くつきあってくれた要因のひとつではないかと思う。

 彼女のラジカルな考え方はいつ頃形成されたのか、と質問してみたところ。
「それは、子供の頃。両親の影響が大きいわね」と答えてくれた。

  そんなこんなで2回目となったコーストスターライト号での12時間もの旅は、楽しいひと時となった。

 夜10時、ロスアンゼルス・ユニオン駅に到着。

・腰痛無



ゴールデンゲートフェリー乗り場のアムトラックバス発着所で出発を待つ人々。




読書しながら出発を待つご夫婦。まだまだ、本を読んで時間を過ごす人が多い。




ラウンジカーで乗車客に道中の見所を解説するボランティアのスタッフ。




時間がある時に、こんな感じでブログを書いたり読書したりしています。
列車内はネットにつながりません。



出発して約10時間、Simi Valleyを過ぎた辺りで夕陽が沈む。






 7時30分起床。スーパーマーケットで、牛乳、リンゴ、バナナ、パンを購入。ホテルに戻り、アムトラックの時刻表を見ながら朝食。明日、サンフランシスコを発つ予定なので、そこから先の計画を考える。

 サンフランシスコから再びコーストスターライト号に乗って、ロスアンゼルスまでが順調にいって約12時間。当初は、ロスで乗り換えてサンディエゴまで向かう予定だったが、それではサンディエゴ着が深夜1時になってしまう。その時間に、初めての街でホテルを探しながら歩くのは、さすがに気が引ける、というか無謀だろう。ロスからサンディエゴまでは約2時間半ほどで行けるので、ロスにホテルを確保し、ロスを拠点にしてサンディエゴまで行くことに決める。

 計画が決まったところで、最初の仕事。ゴールデンゲートフェリー乗り場にあるアムトラック事務所に行き、明日のチケットを手配する。出発は朝7時45分。 カウンターの黒人のお姉さんが、 もし荷物を預けるのならもっと早く(early)来いと言う。 「earlyって何時位のことですか?」と聞くと、また「early」と答える。「だから何時にくればいいのかを知りたい」と再確認したのだが、「early」「early」「early」とあきれ顔に手振りも加えて3回繰り返されたところで根負け。私にもearlyの意味は、わかってるんですよ…。

 ゴールデンゲートフェリー乗り場からマーケット通りを少し戻り、Embarcadero駅からバートという市街地と近郊を結ぶ鉄道に乗って郊外へ。昼過ぎは、サンフランシスコの対岸、イーストベイにある大学の街バークレーへ行ってみる。カリフォルニア大学バークレー校(UCB)を散策。キャンパス内は緑が多く、とても美しい。バークレー美術館やローレンス科学館、植物園もなどもある広い構内を、さまざまな国からの留学生と思われる若者が思い思いに過ごしていて、活気を感じる。アジアからはやはり中国人、次に韓国人が多く、日本人らしい学生は少ないように思われた。あくまで個人的な印象。
 
・腰痛無

一番上の写真は、60年代の米国学生運動発祥の地としても知られる
カリフォルニア大学バークレー校。とても心地いいキャンパス。




大学のランドマーク「Sather Tower」。
展望台に登れば、サンフランシスコ市内まで眺望できる。





学内の校舎は、どれもこんな雰囲気。歴史を感じさせる建物が多い。
否応にも「学ぶために、ここに来た」ことを意識させられるのでは。




バートの駅から大学までの通りには、カフェやレストラン、本屋などが並ぶ。




おまけ。ゴールデンゲートフェリー乗り場のアムトラック事務所カウンター。左の男性の応対をしている女性から「early」と3回繰り返される。きっと、彼女にも、いつかはわからないのだ。





 昨日は、定刻より1時間ほど遅れて、朝9時過ぎにEmeryville駅に到着。ここでアムトラックバスに乗り換えて、サンフランシスコ市内へ入る。

 ホテルのチェックインまでは時間があったので、荷物を預けて市内を歩く。体感的にはシアトルよりも寒い。セーターやフリースどころか、ダウンやウールのコートを着ている人も見かける。もちろんTシャツ姿の人もいる。

 マーケット・ストリートからケーブルカーの走るパウエル通りに入り、ユニオンスクエアを抜ける。シアトルと比べてものにならないほど観光客が多い。ロシア語、ドイツ語、フランス語、そして韓国語etc…。

 ここにも街のあちこにち「ス」はあるが、いずれも観光客でいっぱい。見たところテイクアウト客が多く、どこも店舗は小さい。チャイナタウンのドラゴンゲート前の「ス」で、ようやく一休み。

 電源のある席を確保し、ネットにアクセス。目の前のポーランドから来たという女の子も、後ろの席の男の子も、お店の前のおじさんもツィートしている。「いま、何してる?」がコンセプトのツイッターと観光は、とても相性がいい。
 チャイナタウンを抜け、シティライツ・ブックスに寄り、ワシントンスクエアからバスに乗ってホテルに帰る。

・洗濯
・腰痛軽



サンフランシスコは、とにかく坂が多い。道がまっすぐなので、地形ががよくわかる。



ビート文学の聖地と言われる「シティライツ・ブックス」は健在でした。



リチャード・ブローティガンが『アメリカの鱒釣り』の表紙で使った写真の撮影場所、ワシントン広場。



旅行中は自然と、夕陽が目にしみる。





 朝5時30分、車窓から朝日が差し込み目覚める。「HoSoNoVa」を聞きながら、日の出を待つ。

 コーストスターライト号は深夜にカリフォルニア州に入り、早朝4時頃Chico駅を通過。後1時間も走ればサクラメントである。出発から約20時間、1300キロ走ったわけだ。

 20時間も何をして過ごしていたか?
 陽気なアメリカ人たちから東日本大震災の見舞いの言葉をかけてもらったり、なでしこジャパンの優勝をお祝いしていただいたり、思い切り会話を楽しんでいた…などというよくできた話はなく、寝ている間以外はラウンジでずっと車窓の風景を眺めていた。

 はっきりいって、私は電車の車窓から、流れていく風景を眺めているのが好きなのである。なぜか飽きない。右に左に曲がったり、信号待ちで急停車したりするクルマの移動はせわしなく、離陸と着陸地点の点と点だけが記憶に残る飛行機では、途中の風景はカットされてしまう。もちろん、クルマならではのスピード感、移動の軽快さや自由さや、飛行機ならではの世界を俯瞰するようなダイナミックな風景の魅力は否定するものではありません。

 一つの方向に向かって一定のスピードで走っていく列車の車窓からは、森や湖、川、町並み、牧草地帯、ハイウェイ、草原、走るクルマ、遠くの山々etc…次々と新しい風景が飛び込んでくる。そしてこれも大事なのだが、この列車は長距離列車のクセして、とにかくのんびりしているのだ。草原の真ん中で止まっているんじゃないかと思うくらいのスピード感がいい。夜中に目覚めたら、本当に止まっていたこともあった(何してたんだろう?)。新幹線を想像していただいては困るのである。

 「ずっと眺めていただけ」ということを書くのに力が入りすぎて、ただの強がりのようになってしまったw。会話については、また機会があったら書きます。



就寝中の座席車両の様子。リクライニングできるけど、やぱり長時間はつらい。
それにとても寒い。毛布やらシュラフを持ち込んできる人も多い。なぜか誰もカーテンは閉めない。



サンフランシスコまで2時間ほどのDavis駅で朝6時50分時頃に停車。
このあたりまでくると駅舎もスペイン風。



対岸にベイブリッジが見えてきた(写真右奥)。



Emeryville駅でアムトラックの連結バスに乗り換え市内に入る。
ベイブリッジの上から見えるサンフランシスコ市街。





 朝9時45分、サウスバウンド(南行き)・コーストスターライト号はシアトルからロスアンゼルスに向けて出発。事前に調べたところでは、アムトラックのダイヤの遅れは日常茶飯事ということだったので、そんなことも想定していたが定刻通りの出発…「やればできるじゃないか」とも思ったが 、さすがに始発駅からいきなり遅れたらマズいだろう。
 
 シアトルからKekso駅あたりのワシントン州内は、森林と沼地、川などの風景が続き、タコマ付近では「タコマ富士」として知られるマウントレーニエ(4392m)も見える。コーストスターライト号という名前からしてカリフォルニアの青い海と晴れ渡った青空の下をさわやかに走る光景を想像してしまうが、実際に海が見えたのは出発して1時間程だった。

 出発して4時間ほどして、オレゴン州の州都であるポートランド・ユニオン駅に到着。ここで25分ほど停車。列車を降りて、まだ全貌をみていなかったコーストスターライト号の先頭まで歩いてみる。遠…い。

 私は鉄道マニアではないのでよくわからないが、先頭車両の脇腹に貼られたプレートには、GE製のディーゼル機関車「ジェネシス」と明記されている。モデルはP42DC、4250馬力、1997年製、重さは268/268(トン?)…だからどうした、といわれてもわたしも困るのだが。知りたい方には、シリアルナンバーもお教えすることはできます。

ポートランドを出発し、オレゴン州からはカスケード山脈沿いに南下。草原や牧草地帯が広がり、途中、いかにもアメリカの田舎町と行った風情の町並みに出くわす。スティーブン・キング原作の映画「スタンド・バイ・ミー」の主人公であるゴーディ、クリス、テディ、バーンの4人の少年たちが、今にも顔を出しそうな、そんな田舎町である。森の奥で列車にはねられた死体を見つけに、線路づたいに死体探しの旅に出る…あの映画の中の街や森、川、そして線路…リバー・フェニックスを思い出してしまう。



見渡す限り牧草地帯や穀物畑が広がる。延々と続く地平線がいかにも大陸的。




出発して約3時間、ワシントン州のKelso-Longview駅。
レンガ造りの駅舎。あと1時間ほどでオレゴン州だ。



走り出してすぐにラウンジは人でいっぱいに。



乗車して最初の食事時。食堂車にもお客がちらほら集まってきた。




乗車中ずっとPCでアメリカのコミックを読んでいた女の子二人組。ほとんど会話もなく
8時間以上も同じ体勢だったのには驚いた。それをチェックしている自分にもあきれるが…。



乗車にあたって水1L、コーヒー替わりに「ス」のボトルタイプ・フラペチーノモカ(スーパーで缶コーヒーは見当たらなかった)、リンゴ2個、パン、菓子類などを持ち込んだが、車内には無料のコーヒー、水、ジュースがあり、売店ではひととおりのものは販売していた。
腰痛重。





6時起床。いよいよアムトラックを使って西海岸を縦断。乗車予定のロスアンゼルス行きCOAST STARLIGHT(コーストスターライト)号は、 朝9時45分発の1日1便のみ。乗り遅れないように、早めにホテルをチェックアウトし、King Street駅に向かう。

 先日は無人だった駅も、さすがに今日は賑やか。クルマや航空機の交通網が発達した米国で、長距離列車に乗る人はどんな人たちなのか、興味が湧く。日本人らしき人は、自分以外に子供連れの家族一組のみ。

 アムトラックの時刻表によると、シアトルからロスで乗り換え、とりあえずの目的地であるサン・ディエゴまでの距離は約1,500マイル、約2,400キロ。ロスまでの所要時間は、34時間。さらにサンディエゴまで約3時間かかる。今回は、サンフランシスコで一旦途中下車し、その後ふたたびサンフランシスコからロスアンゼルス行きに乗ることにした。サンフランシスコまでは913マイル、約1,500キロの旅になる。所要時間は、約23時間。朝9時45分に出発し、到着するのは翌朝8時15分の予定だ。

 私自身は列車に乗るのは好きだが、鉄道マニアではないのでコーストスターライト号
という列車について詳しく説明できなくて残念。ただし、社内の様子は、一部写真でご紹介します。

上の写真は、総2階建ての客車を引っ張る、先頭のディーゼル機関車「ジェネシス」。途中のポートランド駅での休憩の際に先頭まで行って撮影。




シアトルのアムトラック駅であるKing Street駅の構内。
これでも賑わっている感じ。列車が出てしまえば、また閑散とするのでしょう。




景色を楽しめるように「ラウンジカー」が連結されている。
過ごし方は、人それぞれ。私も日中のほとんどはここで過ごした。



二人用のコンパートメント。右のソファと天井近くにもうひとつベッドが見える。洗面台もあり。




列車のほぼ真ん中にある食堂車。通常のレストランとそれほど変わらない値段のようでした。



ここが、わたしの席のある座席車両。一人旅でしたので寝台車は利用せず、
COARCH(コーチ)とよばれるこちらを利用。
もちろんフットレストもあり、リクライニングになります。





2階建てのコーストスターライト号。近寄るとその迫力に驚きます。
2階に寝台や普通座席があり、1階に売店やトイレ、テーブルなどがある。




初めての街を歩く楽しみを3つあげるとしたら、人間観察とウィンドウショッピング、そして街並観察(たとえば特徴的な形の建築物を見つけたりや公共サインのデザイン性や使われ方の工夫などの発見だったり、普通の人の住まいの形だったり…)あたりが、一般的ではないだろうか。ボクも同様である。

人物観察には2種類あって、ひとつはその街に暮らすふつうの人々、もうひとつは自分と同じ観光客の行動観察。いずれもなかなか興味深い。その街の普通の人の様子を観察するなら朝の散歩がおすすめである。平日であれば、いろいろな年齢、職業の人たちのいつもの通勤風景が眺められる。そして、街の中のさまざまな喧騒を聞いていると、こちらまで「さて、今日が始まるぞ。こちらも頑張らなくちゃ」という気分になれるのがいい。

ウィンドウショッピングは嫌いではないけど、最近では洒落たお店を見つけても、気の向くままに近寄って中を覗いてみようとは思わない(ようにしている)。なぜか?…それは、もう十分に痛い思いをしたからね、懐が…。高い授業料と引き換えに、最近では、さまざまな誘惑が視界に入らないように、目線を上げて歩く習慣が身についた。随分時間はかかったけれど、少しは学んだわけである。

随分と前振りが長くなってしまったが…目線を上げて歩く楽しみのひとつは、特徴的な形の建築物の発見である。「アメリカ建築MAP」(TOTO出版)によると、シアトルには、シアトル中央図書館をはじめ、初日に出かけたスペース・ニードルやフランク.O.ゲーリーのエクスペリエンス・ミュージック・プロジェクト、セント・イグナティウス礼拝堂、シアトル美術館など、いろいろな有名建築物がある。それらの建築物のいくつかを街の中で見つけたのでご紹介。


↑(写真上)レム・コールハースが手がけたシアトル中央図書館。すべてのメディアを等価に扱う情報ストアというコンセプトとしては、仙台市「せんだいメディアテーク」(伊東豊雄建築設計事務所)に近いのかもしれません。


↑(写真上)フランク.O.ゲーリーのエクスペリエンス・ミュージック・プロジェクト。とにかく目立っているが、建物の全体像をつかむことは難しい。このデザインを選んだ行政の勇気を称えたい。

←(写真左)街に溶け込みながら、一方で緊張感を与えているのがワールド・トレードセンターも手がけたミノル・ヤマザキによるレイニー・バンク・タワー。シンプルな細長いビルの基壇にあたる部分がえぐれている(一番上の写真参照)。一瞬、目を疑いたくなるほど不自然で不安定に思えるこのカーブが、実はその上に乗っているビルのプロポーションを、スレンダーでセクシーに見せている。コンクリートが不思議なほど柔らかで温かく繊細に感じられ、実物は本当に美しい。









←(写真左)パイオニア・スクェアの中心に位置する、シアトルの老舗ビル「スミス・タワー」。1914年に建てられた三角屋根の42階建てビルで、1962年にスペースニードルが
できるまではシアトルで一番高かった。









←シアトルのシンボルでもあるスペース・ニードル。1962年の万国博覧会の時に建てられたもので、UFOのような円盤形の展望台で知られる。

おまけ。信号待ちしているおまわりさん。MTBに乗ってスポーティーなウェアを着ているおニイさんたちだけど、背中には「SHERIFF 」の文字が!





シアトルで見かけた書店は、大型チェーン店のボーダーズと、写真のようなセレクトショップ的な小さな書店だけでした。他にもあるのかもしれないけど。

7時30分、起床。曇り、気がつけば雨。ホテルの2ブロック先にあるドラッグストアで、牛乳1L、オートミール・レーズン・クッキー、リンゴを買ってホテルで朝食。ヨーグルトを買い忘れる。

シアトルで過ごすのは、今日が最後。郊外に足を伸ばすついでに(バスにも乗りたかった)ので、朝食を済ませ、路線バスに乗って航空博物館へ向かう。名前は航空博物館だが、実際はボーイング博物館である。シアトルは、ボーイング社のお膝元(もう一つの地元の有名企業がマイクロソフト)。博物館の周辺一帯は、見渡す限りボーイング社の工場。ショッピングセンターの駐車場に並ぶクルマのように、大小の飛行機がゴロゴロ転がっている。こんな風景を見ていると、自家用機もマイカーも同じレベルに思えてくる。 ジャンボジェット機の組み立て工場見学は、Kさんにぜひ紹介したい。でも、「オレは、エアバス派だから」というのだろうな。

12時50分のバスに乗ってダウンタウンに戻り、越南餐館で昼食。
その後、シアトル中央図書館を見学。400台のPCとネット環境が整い、映像や音楽ソフトも充実、ホール(マイクロソフト・ホール)ではリーディングなども積極的に行っている(らしい)。すべてのメディアを等価に扱う情報センターという位置づけが、この図書館のコンセプト。菱形グリッドのガラスで覆われた建物は、レム・コールハースの設計。

その後、夕方まで市内を歩く。ダウンタウン、パイク・プレイス・マーケット、パイオニアスクエア、インターナショナル・ディストリクトあたりを…雨がぱらつく中、歩く。仕立ての良さそうなスカートスーツ姿でキメたおじさんが歩いていても、互いの手をしっかり握り、幸せそうに歩く紳士たちが目の前を歩いていても、ちらりと(オレ、見間違えていないよなと)確かめるだけで、ちっとも気にしない顔をして歩く。なんといっても、ここはシアトルだから…よくわからないけど。

ホテルへの帰りにドラッグストアに寄り、明日の列車の中での食料の買い出し。水1Lとリンゴ2個と、後はジャンクフード。ジャンクフードは、ここには書かない。帰りがけに地図を見ていたら、近くに「ス」の一号店があることに気づき、お上りさんらしく写真を撮って帰る。

いま、一番欲しいモノ…万歩計。
今日は終日レインウェア着。
出発前に購入したMERRELのカメレオン2が、すこぶる快適。
腰痛軽。

※追伸
今回は、ほとんど時差ボケを感じなかった。昨晩は11時30分頃ベッドに入り、2時30分過ぎに目が覚めた。これは時差ボケではなく、いつものことだから慌てない。いつものようにiPodで落語(昨日は桂文珍の「地獄八景亡者の戯れ」)を聞きながら、ふたたび就寝。

写真は「ス」の一号店。観光客がお店の外まで列を作っていた。店の前でバンジョーを弾くお兄さんは、「ス」には関係のない人。たぶん。







天気は曇り、気がつけば雨。また雨。
「また雨が降っている。」というのは、旅行書「ロンリープラネット」シアトル版の最初の書き出しの一行。シアトルは、本当に一日中雨が降ったり止んだりしている。 そして夏は暑いものと勝手に想像していたが、シアトルの夏は肌寒い。今週の週間予報によると、最低気温13°〜14°、最高でも17°〜20°前後のようだ。長袖Tシャツの上にパーカを着て、さらに雨具をはおって(またはバッグに携帯して)出歩く。

 それほど大きくはない街(人口は約56万人)の中のあちこちに大型のアウトドアショップが点在しているのは、自然に恵まれた環境であることはもちろんとして、それ以上に、この天候によるところが大きいのだろう。この街に暮らす人にとって機能的なウェア類は、生活必需品。多くの人は、雨の中でも傘などささずに、有名ブランドのゴアテックスなどの高機能でオシャレなアウトドアウェアを着ている。まぁ、傘をさすのがめんどうなほど、繰り返し降る雨の降り方が中途半端ということもあるのだろうけど。

 昼頃、エリオット湾のフェリーに乗って、海上からシアトルの街を眺める。街の構成としては、清水区の日の出埠頭のすぐ横に、静岡市の呉服町やら御幸町やら伝馬町などの中心市街地がある、そんな位置関係を想像していただきたい。

 遅めの昼食は、越南餐館で牛の薄切り肉と肉団子のフォー。午後は、パイク・プレイス・マーケットからパイオニアスクエアあたりを散策しながら、Safeco Fieldに寄って今晩のマリナーズVSレンジャーズ戦のチケットを受け取る。途中、「ス」で休憩してホテルへ戻る。

 夜は、球宴に落選したイチローを応援するためにSafeco Fieldへ。マリナーズ対テキサス・レンジャーズ戦。マリナーズはチーム全体が精彩を欠いていたが、5回裏の攻撃でイチローがタイムリーを打ったので良し。レンジャーズの先発サウスポーが好投、試合は1−5でマリナーズの負け。8回裏が終わったところで球場を後にする。シアトルの賑やかな土曜の夜の街を歩きながら、ホテルに帰る。











7月15日。16時10分成田発のDELTA296便に乗って、同日朝9時にシアトルSea-Tac空港着。 約9時間のフライト。時差はマイナス16時間。 現地の気温14°、晴れ。 空港からライトレールで、ダウンタウンへ。券売機が見当たらず、そのまま乗車。下車したWestlake駅に改札は無く、電車を降りたらNORDSTROM百貨店の中である。意図せず無賃乗車。

 シアトルでは、ホテルといいたいところだが、正確にはモーテル泊。なんといっても宿泊費が安い。チェックインまで時間があったので、シアトルセンターまで足を伸ばし、Space Neadleに上ってシアトル市街を眺める。UFOのような円盤型展望台から360°のパノラマが見渡せる。地図を広げ、目の前に広がる町並やビル群と地図を、頭の中でつなぎあわせていく。いくつかの目印(多くはビルなどの建築物と公園など)が頭の中に上手く収まれば、それほど迷わずに街を歩くことができる。

 せっかくシアトルセンターまで来たので、ついでにExperience Music Projectにも寄り、ジミ・ヘンドリックス・ギャラリーと、たまたま開催中だった「ニルバーナ」展を見る。どちらもシアトル出身で、どちらもその時代においてオルタナティブな音楽だった点が共通している。体験コーナーの「サウンドラボ」でベースを触らせていただき、長居してしまう。

 シアトルセンター前のマクドナルド(マ)で昼食。注文したものと別のものが出てきたが、日本人だからそのまま受け取る。 Wi-Fiが無料で利用できることを確認。

 ホテルでチェックインを済ませ、ダウンタウンを散策。スターバックス(ス)誕生の地だけあって、いたるところに「ス」がある。NORDSTROM前の「ス」に入って、あっさりめのホットコーヒーをいただき、ここでもWi-Fiチェック。これでネットにアクセスできる場所を2カ所確保。

 今日最後の仕事をすべく、シアトルのアムトラック駅であるKing Street駅へ向かう。徒歩で約30分。薄暗い構内にほとんど人影はなく、まるで無人駅の様相。ここでUSA Rail Pass(15日間用)と、3日後に乗る予定のシアトルーサンフランシスコ区間のチケットを購入する。「CLOSED」の看板が並ぶチケット売り場の奥に声をかけて人を呼ぶ。出てきたきた職員さんに「USA Rail Passを買いにきた」と伝えると、「なら、パスポートを見せなさい」と言われ、チェックインした時に、ホテルに置いてきたことを思い出す。パスポートがないと外国人用のUSA Rail Passは購入できないことをすっかり忘れていた。「無ければ売れないぜ。出直しておいで」みたいに扱われる。

 また往復1時間もかけて歩くのはいやだな…と思いつつ、一旦あきらめて帰りかけた時に、財布の中にパスポートのコピーを入れていたことを思い出す。「コピーならあるけど、ダメ?」と聞いたところ「しょうがない、今回だけだぜ」みたいな感じで発券してくれた。今回だけで十分さ。キミに会うことは、もうないからね。終止無表情で強面のおニイさんだったけど、とにかく感謝。(以上、ほとんど英語はしゃべっておりませんので、誤解の無いように)

 今日は、いつもよりプラス16時間の、長い一日だった。出発前から痛めていた腰が痛む。





海野 尚史 HISASHI UNNO

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