萩市浜崎、寺の塀越しに見上げる中秋の名月。
「50過ぎのオッサンも、ゲストハウスなんかに泊まるんだ」。茨城県から萩市までバイクでやってきたという大学3年K君のその言葉に、隣で聞いていた宿の主人のTさんが、「もうすこし言い方があるんじゃないの。それに、うちはリタイアした人もよく利用してるよ」とあわててフォローしてくれた。
ぼく自身は、久しぶりに、大人に対する若者特有のあっけらかんとしたもの言いに接して、かえって気持ちいい。それよりも「オーナーの前で“ゲストハウス
なんか…”はないだろう」と、Tさんの反応が気にしながら、「そうなんだよ。50過ぎのオッサンも、ときどきゲストハウスを利用したりするんだよ」とこたえる。
ここは、この春Tさんが萩市に開業したばかりのゲストハウス(写真上)。萩市の宿を決めないまま山陰旅行に出かけたので、山陰本線で移動中、ネットであわててここを探し当てたのだ。萩には2軒のゲストハウスがある。一軒は、古ビルをリノベーションし、カフェ・バーを併設したおしゃれな宿(
同じデザイナーが手がけた東京・蔵前のゲストハウスを利用した時の話はこちら)。もう一軒が、Kさんが一人で切り盛りしている古民家をリフォームしたこの日の宿である。

大学3年のK君は、道路フェチ。バイクに乗っている時は、「ここの道路はよくできている、走りやすい、とか、ここはちょっと仕事が荒いな」などと気になるのだそうだ。現在の悩みは、就職活動。自分の手で道路を造りたくて、大学は土木課を選択。ところが入学後、実際に道路を造っているのはゼネコンの協力会社であること知り、先輩たちのようにゼネコンに就職すると直接道路づくりができないと、迷っている。
一方、この宿の主人Tさんは、香川県出身の38歳。この春、萩市にゲストハウスを開業するまでの道のりや、開業後の経営状況、集客の課題、外国人バックパッカーの国籍別特徴など、いろいろな話題で盛り上がる。ふすまを隔てた隣の部屋では、アメリカ育ちだけどアメリカ人嫌いの28歳の投資会社経営者が、チェックイン早々眠っている。この日の客は3人。全員男性、全員一人旅。話を聞いてみれば、主人のTさんもいまだ一人旅の途中らしい。
ここ数年、部屋をシェアして宿泊するゲストハウスが増えている。ホテルでも旅館でも民宿でもなく、こんな小さなところから、2020年の訪日外国人観光客2,000万人に向けての動きが始まっているのかもしれない。
写真下は、前日に宿泊した石見銀山、他郷阿部家。文豪に似合いそうな落ち着いた部屋。
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この1週間、電車とバスを乗り継いで、山陰地方に出かけてきた。安来、松江、出雲、石見銀山、そして萩。Uターンして、厳島神社、広島平和記念公園。こんなに短期間に、これほど多くの観光地をまわるのは、海外旅行を除けば初めてかも知れない。
観光庁は、東京オリンピックの開催される2020年に、2,000万人の訪日外国人観光客を迎え入れる計画だ。2,000万人の目標を達成するためには、東京や大阪などの日本を代表する都市や、京都や北海道などの、すでに海外に認知された観光エリアだけでは、
それだけのボリュームを吸収できない。つまり、地方への誘客が2,000万人受け入れの成功の鍵ということになるのだけど、果たして今の地方にその準備はできているのだろうか。
短期間に七カ所を回ってみて実感したのは、「観光地」とか「観光」とひとことに言っても、それぞれ、歴史も、雰囲気も、核となる見どころも、ボリュームも、スケールもまったく違うということ。それから、エリアのサイズと集客力は直結しない、ということもよくわかった。
今回でかけた中で一番小粒なのが島根県太田市の石見銀山。山間の本当に小さなエリアなんだけど、ここでは深堀する観光のおもしろさを体験できた。大久保間歩のツアーに参加できたことも貴重でしたが、宿泊した
他郷阿部家で、ここを運営する群言堂の松場大吉会長と会食しながらお話を聞けたことも大きい。
群言堂という会社について一言で語るのは難しいので、
こちらの映像をみていただければと思いますが、復古創新という考え方のもとで、石見銀山を起点に商品開発、情報発信している。最近では、今回お世話になった築200年を超える古民家の宿泊施設を手がけたり、地酒などの新商品開発にも積極的に取り組んでいる。「うちは東京や大阪など、都会で利益を上げて、地元に投資しているんです」という松場会長の言葉からは自負も感じられた。実際に、人口400人というこの地域で、約50人の雇用を創出しているそうだ。

宿泊した翌日には、近くにある本社(写真/中)も見学させていただいたのだが、新築の社屋の外壁を錆びたトタンなどの古材で囲い、石見銀山の風景にとけ込ませている。商品も建物も「石見銀山の生活にふさわしいものであること」というひとつのモノサシがすべての基準になっていて、そこが群言堂のブレない「らしさ」につながっている。
一方、明治維新を牽引した人材を数多く輩出した萩市は、戦禍に遭うこともなく、いまでも歴史的な町並みが残っている。観光地としてのポテンシャルは高い。萩市内循環バスの運転手さんによると「いまでも小学校で、松陰先生の言葉を暗唱していますよ」とのこと。町並みだけでなく、現在の暮らしの中にも街の歴史が脈々とつながっている。とはいえ、人口は減り、空き家も(本当に)多く、観光客も減少している現実があり、「萩は陸の孤島ですから…」という諦めムードの声が聞かれたのも事実。そんな中での朗報は、来年のNHK大河ドラマ(「花燃ゆ」の主人公が吉田松陰の妹)で萩市が舞台になること。2020年のことはわからないけど、2015年はきっと多くの観光客で賑わうのだろうな。
観光地として充実している印象を受けたのは水の都・松江市。松江城や武家屋敷、小泉八雲記念館、美術館など、見どころが多い上に、興味別観光コースがうまく組まれている。それらをつなぐ周遊バスや遊覧船も便利で、満足度の高い一日を過ごすことができた。とはいえ、結局一番印象に残っているのは、宍道湖七珍料理の店「川京」で、おかみさんや娘さんに松江の食について教えてもらいながら「鰻のたたき」や「おたすけしじみ」「亀の手」を食べた夜なんだけどね。
初めての山陰旅行は、思いのほか楽しいものだった。地方には、まだまだ多くの観光資源が眠っていることにも気づいた。2020年まであと6年しかない…ともいえるけど、ここは「あと6年もある」ととらえたいもの。外国人も日本人もファンにしてしまう地方がたくさん生まれることこそが、「地方創世」なんじゃないだろうか。

4月の中旬、長浜港から高速船に乗って、竹生島へと向かった。竹生島は、琵琶湖北部に浮かぶ周囲2kmほどの小さな島で、全島原生林で覆われている。東南の一カ所が、高速船の船着場となっている。
その週末は真冬並みの寒波に包まれて、4月もなかばというのに気温は7度。昼頃から雨ということだったので覚悟してでかけたのだが、予報が外れてくれたのはありがたかった。それでもどんよりした雲に覆われた湖上の風は冷たく、さすがに乗客はみな、高速船の船室に籠ったままである。
一人甲板に出て、寒さに震えながら琵琶湖の景色を眺める。前方後円墳の原型とか、神の住む島ともいわれる竹生島の姿を、しっかり見たかったのだ。高速船の前方に見えてきた竹生島(写真真ん中左)の特徴的な姿は、前方後円墳というより、不謹慎にもひょっこりひょうたん島を思い出した。

船着場の目の前にある数件の売店を抜けると、石段の登り口がある。167段の石段を登ると宝厳寺の本堂が見えてくる。宝厳寺のご本尊は、江ノ島、厳島とともに日本三弁才天の一つに数えられる大弁財天。ご詠歌は「
月も日も 波間に浮かぶ竹生島 舟に宝を積むここちして」である。弁財天をお祀りしている竹生島を、湖上に浮かぶ宝舟と見立てた、昔話にでもありそうなきれいな歌。月の夜の金波銀波に浮かぶ竹生島を見てみたい気がする。

下の写真の手前が国宝の唐門、その奥に観音堂。観音堂に祀られている千手観音は、西国三十三ヶ所の第三十番札所に当たる。重文の舟廊下を抜けると都久夫須麻神社へとつながっている。拝所から琵琶湖にむかう鳥居へかわらを投げ、鳥居の間を通ると願いが叶うらしい。300円を払うと2枚のかわらを渡される。願かけは滅多にしないのだが、神の島ならばということで、珍しく願いを書いて投げてみた。1枚は首尾よく鳥居を通過したが、1枚は大きく外してしまった。投げる前にかわらに書いた内容を確認しなかったので、どちらが通過したのかわからないが、わからないほうがが気は楽である。

豊臣秀吉の御座戦「日本丸」の舟櫓を利用して建てられたと伝えられている舟廊下。
300円を払うと2枚のかわらを渡される。サインペンでかわらに願いを書く。
「
湖北は李朝白磁のようで、寂しいけれども暗くはなく、しっとりしていても湿っぽくない。長浜をすぎると高月という駅になり、そこから東へ入ればまもなく渡岸寺で、ほとんど観光客が訪れない境内の堂宇に貞観期の十一面観音がある…」
竹生島に行く気になったのは、白州正子が『かくれ里』の中で触れている琵琶湖湖北の魅力についての上の文章を読んだことがきっかけ。彼女は、湖北に点在する千手観音や十一面観音像などの巡礼に旅立つのであるが、ぼく自身はいまのところ、仏像に魅入られてはいないし、十一面観音にときめくこともない。それよりも“李朝白磁のよう”というたとえに興味を惹かれた。“李朝白磁”のような土地とは、どんな風景なのかと。
で、李朝白磁のような湖北のどこを目的地としようかと迷った末、西国三十三ヶ所のひとつである竹生島に決めた。湖北にかぎらず今回がはじめての近江体験だったが、近江は歴史も古く、奥が深い魅力のある土地であることは実感できた。帰路、長浜から彦根を過ぎ、近江八幡へと向かうときなど、下界に降りてきた気分になったほどである。竹生島では、李朝白磁という例えを実感することはなかったのが残念だが、湖北に限らず近江には別の季節にもう一度来てみたい。

夏の初め、京都に
出かけたときの一枚である。鴨川べりにある料理屋の2階のお座敷。3人の目線は、窓の下を流れる鴨川に注がれている。さわやかな川風を浴びながら歴史に思いを馳せているようにも見えるが、3人の心の中は先ほど注文した京都牛の「牛ひつまぶし膳」を心待ちにしているのであった。
今日から1ヶ月、夏休みをいただきます。
ブログは通常通り更新しますので、気の向いた時にお立ち寄りください。
【
静岡人の二択】では、あなたの
ロンドンオリンピックの盛り上がり度について
投票を受付中です。昨晩のなでしこ戦は、ご覧になりましたか?


6月初旬に京都に出かけた時、八坂神社で開かれたお茶会に出席した。慣れないお茶会で、しかも場所が京都の八坂神社である。出かける前は「どんな展開になるのやら…」と不安な面持ちであったが、思いのほか気取りのない開放的なお茶会だったこともあって、新鮮なひとときとなった。
亭主は、京都でデザイナーをしている
友人が通っているお茶教室の先生。80歳にもなろうかと思われる先生のやわらかな物腰ときれいな京都弁にいたく感心した。そして先生の生徒さんたち(もちろんみな京都の方々)に混じって戸惑い気味の静岡からの珍客(わたしたちのこと)にたいするさりげない心遣いに、おおいに感動させられた。「おもてなし」とはこういうことか、と合点がいった体験となった。
「新学習指導要領ではダンスが必須科目となったようですが、京都では小学生の頃から学校でお茶を学ばせているのですよ」という意味のことを、やわらかな京都弁で説明してくれた。京都と静岡はともにお茶の産地であるが、お茶に対する考え方は随分と違うようである。
お茶会は初体験という同行のカメラマンOさん、コピーライターKさん、そして今回のお茶会に誘ってくれたデザイナーKさんの4名で清々しい気分で八坂神社を後にし、木屋町まで散策。昼時を過ぎた午後に鴨川沿いの某料理屋の座敷を独占し、初夏の風に包まれながら牛ヒレのひつまぶしをおいしくいただいた。なかなか思い出に残る休日となった。
梅雨が空けたら本格的な夏の到来ですね。
新鮮な休日の楽しみは、静岡・浜松・沼津近くにもいろいろあります。
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天気予報によれば今週末はよく晴れるということだったので
思い立って、吉野山へ行ってきた。
「お花見に」と言いたいところだが、吉野山の桜の見頃は4月中旬からGW。
とはいえ、少しは期待しないわけではなかったのですが
「今年はまだだねぇ。去年は、今頃は少しは咲きはじめていたんだけど」と、
竹林院横から奥千本入り口まで連れて行ってくれるシャトルバスの運転手の弁。
あと2週間もすれば多くの花見客で賑わうであろう
金峯神社から西行庵にかけての山道はとても静かですれ違う人もない。
20分ほどかけて山を登り、奥千本に近づくと
桜どころか、まだところどころに雪が残っている。
途中、西行や芭蕉も立ち寄ったといわれる苔清水で喉を湿す。
苔清水のすぐ先が、西行が3年間過ごしたといわれる小さな庵だ。
深い山間のまだ眠ったままの奥千本の桜が満開になる様子を想像しながら
山を下り、高城山、吉野水分神社に寄り道しながら
今日一日のんびりと散策を楽しんだ。
シャトルバスの運転手によれば、この春は、
関東方面のお客さんの多くがキャンセルしてしまったとこぼしていた。
吉野の山にも震災の影響が出ているようだ。

昨夜は、大阪から京都へ移動。京都在住のデザイナーKさんの紹介で、花見小路の1本鴨川側の路地、建仁寺すぐ近くの小料理屋で夕食。その後、京都の夜の街を少し歩く。鴨川を渡り、先斗町を抜けて、木屋町三条あたりでふらりと入った
ライブハウスRAGで、
カルメン・マキのライブに遭遇する。運良くアンコール曲(曲名は覚えていないが、たしかガーシュインのスタンダードナンバーではなかったか)を聴く。京都は、ライブハウス、ジャズ喫茶、個性的なレコードショップなどがたくさんあって、わたしの中では音楽の街でもあるのだ……

昨日は、名古屋から京都へ移動。
夜は平安神宮近く、丸太町通りにある和食の店
「楽膳 柿沼」で会食。
藤枝市出身で、現在は京都でデザイナーをしている
Kさんと2年ぶりの再会なのだ。
Kさんは〈しずおかオンライン〉の前身、
フィールドノート社に入社してきた最初のデザイナーで、
社員番号は2番。
〈しずおかオンライン〉の本に脈々と受け継がれている雰囲気というものがあるとすれば、その“らしさ”を創ったのがKさんなのである。