80年代から90年頃の12月のこの時期を思い出すと、
クリスマスイベントやら忘年会やらパーティーやらがあちこちで企画されていて、
ハレの場に身につける冬物や、プレゼントなどを買い求めて
デパートをハシゴしたという記憶がある方も多いのでは。
その頃の若者の消費マインドに大きな影響を与えていた会社が、
従来の百貨店という業態にとどまらず
パルコや無印良品などの消費文化を創造し、牽引したセゾングループ。
「じぶん、新発見。」「不思議、大好き。」「おいしい生活」、
そして88年に糸井重里が書いた
「ほしいものが、ほしいわ。」
などのセゾングループのキャッチフレーズは、
記憶力にはからきし自信のない私も、よく覚えています。
素朴で楽観的に消費を楽しめた良き時代でした。
そんなセゾングループを率いていた堤清二と、
『下流社会』(光文社)の著者三浦展の対談をまとめた
『
無印ニッポン〜20世紀消費社会の終焉』(堤清二・三浦展著、中公新書)
を、興味深く読みました。
低成長経済が当たり前の世の中になって、
その変化が消費の現場に現れることはとても自然なこと。
ユニクロや無印良品に通低している
「これがいい」ではなく「これでいい」
という一種無欲な商品が支持されている理由が、
企業主導のモノづくりから、個人(消費者)主導のモノづくりへの
変化の現れであることなどが語られています。
わたしの身近にいる若い世代からはとくに、
バブル期をそれなりに楽しんだ同世代の方からも、
「あれがいい」「これが欲しい」「もっと欲しい」という会話よりも
「これでいい」「これで十分だ」という話が増えていますし、
そのいほうが“カッコイイ”という感覚も伝わってきます。
ユニクロは、無印良品が提示しようとした
「ファッショナブルでない部分がファッションになる」
ということを、無印以上に具現化している。
さらに、生活全体を扱おうとした無印に対して、
衣料に特化した(一時、野菜などを扱ったこともありましたが…)
ことがユニクロの普及を加速させている。
堤清二氏は本書の中で、商品そのものに個性が無くなりつつある中では、
消費過程そのものに個性を復活させる必要があり、
流通産業は商品の性格が変わる場所にあると語っています。
つまり“消費の現場こそ、商品に個性を与えることができる”
ということだと思いますが、
その点ではまさに消費の現場を取り上げることの多いフリーマガジンなどの
地域の小さな媒体には、まだまだ大きな役割がありそうです。
全国どこでも同じ商品が手に入る時代において
地方の個性、ローカリティをどのように考えるかは
地方にとって大きな課題。
「これがいい」から「これでいい」とはいっても、
いつもいつもお昼は「マック」、夜は「和民」、
衣料はユニクロで、家具はニトリかイケア…
では寂しい気もします。
消費の現場に個性を求めるということであれば、
「ここでいい」を満たしてくれる
地元のお店のリストを少しずつ増やしたいものです。
「有名なものはない」「都会にあるものはない」
でも、「それで暮らせる」「これでいい、この町で十分だ」
という価値観と自信をもちたいものです。
ちなみに、ユニクロがジル・サンダー氏と立ち上げた「+J」は、
限りなく「これがいい」に近い「これでいい」
ということでしょうか。