「
今、あなたが卒業したいコトやモノは何ですか?」と問われたら、
どんなことを思い浮かべますか?
パティシエのちえさんの答えは、不規則な生活。夜中の食事や睡眠不足からの卒業。
学生のりりさんの答えは、学生気分からの卒業。この春から新社会人になるので、
TPOにあわせた言葉遣いができるようになりたいとか。
春は卒業シーズン。3月号の
『womo総研』では、
「
今、あなたが卒業したいコトやモノは何?」という調査を行いました。
卒業願望のトップは、「生活習慣」。
不規則な食習慣や、SNS依存による夜ふかし生活から卒業したいという声を
たくさんいただきました。
さて、あなたが卒業したいコトやモノは何ですか?
今月の『womo総研』リサーチ報告は、
3月号『
womo』誌面でチェックしてみてください!
特集は、「グリーンのある暮らし」です。

静岡県内約230店の書店さんへの本の取次ぎ営業を担当している矢部祐規君が、
朝日新聞静岡版(2月22日付)で紹介されました。
きっかけは、矢部君が
eしずおかで連載中のコラム『
一冊入魂。』。
わたしが紹介すると説得力に欠けますが、
『一冊入魂。』は、静岡県内で売れている本や地元書店さんの生の声を
知ることができる貴重な現場レポートだと思います。
今回は、朝日新聞の記者さんが『
一冊入魂。』を読んで興味をもち、
取材してくれました。

・eしずおか「日刊いーしず」:矢部祐規の『一冊入魂。』
http://solbook.eshizuoka.jp/
しずおかオンラインの昼時は、手作り弁当派、コンビニで購入した弁当またはパン派、そして外食派の3パターンに分かれます。みなさんは、どのパターンでしょうか。
私はといえば、月から金曜日まで週5日すべて外食。そう人に話をすると、「お店は詳しいでしょう」とか「いいお店を教えて」と聞かれます。でも、申し訳ないことに、実はあまり詳しくありません。というのは「安く済ませたい」けど「できればおいしい」ところで、「落ちついて食べられる」お店、などと勝手な条件をつけてしまうから。結局、毎週、同じお店をぐるぐるまわってしまう。
「
働く女性のランチに関する調査」
(「リサーチバンク」昨年のアンケートですが)によると、「外食」の人の平均予算は
「700~1000円未満」(51%)が最も多く、ランチで重視する点は、
「安く済ませること」(59%)、続いて
「おいしいこと」(38%)、そして
「栄養バランスに気をつける」(32%)なのだそうです。みなさんは、いかがですか。
もし、予算500円(ワンコイン)で、おいしいランチを毎日選べて、栄養バランスも偏らないようにお店選びができたなら、毎日のランチが楽しみになりませんか。ぼくは、なります!新しいお店を開拓する意欲も高まります。
そんな、ランチをもっと楽しみたい、しかもおトクに!という方を応援する、
お得なクーポンブック「ランチパスポート」(静岡版・浜松版・東部版)が、本日発売になりました。

静岡版は、静岡市内のランチ店63店舗。
西部版は、浜松市、磐田市、袋井市、掛川市、湖西市の79店舗。
東部版は、沼津市、三島市、清水町、富士市、富士宮市の61店舗。
掲載メニューを、通常価格よりも安い500円均一で食べることができます。
手作り弁当派の方も、コンビニ弁当&パン派の方も、週に1度は
「ランチパスポート」と500円を握って、お店めぐりを楽しんでみてください。
「パスポート」シリーズは、ほかにも2種類。上手にご利用ください。
▼居酒屋メニュー(2000円以上)が1000円になる
「womoバルパスポート」
▼エステやネイルなどのビューティー系プラン(2000円以上)が1000円になる
「womoビューティーパスポート」
『ユリイカ』2月号で、「
西武百貨店からセゾングループへ。詩人経営者の戦後史」と題し、堤清二/辻井喬を特集しています。わたし自身は、詩人辻井喬のよい読者ではありませんが、経営者・堤清二に興味を持って読んでみました。
「
セゾン文化は、反体制的な精神をもったカウンターカルチャーだった」と堤清二氏本人が語っていますが、わたし自身は当時、セゾン文化についてそんな意識はもっていませんでした。後に、堤清二氏の思想については知ったのですが、そのあたりは三浦展との共著『
無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉』 (中公新書) や、談(no.90)WEB版「
特集:辻井喬と戦後日本の文化創造 セゾン文化は何を残したのか」にくわしく紹介されています。
セゾン文化の最盛期、堤清二氏の思想と消費者との橋渡しをしたのが、「
おいしい生活。」や「
ほしいものが、ほしいわ」などのキャンペーンを手がけた、糸井重里氏の広告表現です。商品訴求から自立した広告表現、メタ視点で生活と消費の関係を捉えなおしたアプローチが、当時は新鮮でした。堤清二氏本人も「時代の変化を反映できる才能」と呼んだ糸井重里氏のコメントが、本特集に寄稿されていないのが残念。
糸井重里氏の堤清二氏との仕事の思い出は、『
ある没になったコピーの思い出』(ほぼ日)として語っていますが、自分自身も経営者となった糸井重里氏が、経営者としての堤清二氏を現時点でどのように評価しているのか、聞いてみたい。
特集の最後に、飯田一史氏が堤清二氏について、イメージ先行のコンセプト倒れの経営、流通・小売業のオペレーションの軽視、しくみ化できなかった経営者として、手厳しい見方をしています。それらの指摘に呼応するかのように、最近、東京糸井重里事務所が、組織作り(
「unusual」の対談に詳しい)や、しくみ化、財務の強化(
「『ほぼ日』が愛される理由」)などに、積極的に取り組んでいるのが興味深い。
「
『ほぼ日』が愛される理由」(「日経ビジネス」)では、糸井重里氏の個人事務所・東京糸井重里事務所がだんだん大きくなり、会社の仕組みを整える必要が出てきて、篠田真貴子氏を迎え入れたこと。財務強化のほか、人事制度や在庫管理の仕組みなどを整えていったこと。そして、小さいユニットで「創って、作って、売る」をぐるぐる回す「ほぼ日」のものづくりのしくみなども語っています。篠田真貴子氏は、旧長銀、マッキンゼー、外資系大手から転じて、現在、東京糸井重里事務所のCFO(最高財務責任者)。
「上場の準備はできている」という東京糸井重里事務所が、本当に上場するのかわかりませんが、糸井重里氏が、新しい会社像、経営者像を創ろうとしていることはひしひしと伝わってきます。
「
ぼくらは別に、アンチで仕事をするつもりはないので。『社会の価値観をひっくり返すぞ』っていうだけじゃしょうがない」という糸井氏のコメントは、まるで堤清二氏と共闘し、挫折した反省を踏まえて語っているかのよう。堤清二氏の反体制的な経営思想は、糸井重里氏に受け継がれ、糸井流にカスタマイズして、その答えを見つけようとしているかのようにもみえます。そんなことを勝手に想像しながら『ユリイカ』2月号を読みました。いつか東京糸井重里事務所が上場したら、一口株主になって、「ほぼ日」の株主総会に参加したいですね。
今日2月14日はバレンタインデー。
最近では、自分へのご褒美にチョコレートを購入する女性も増えているようですが、
しずおかオンラインから『womo』読者のみなさまに、こんな企画をご用意しました。
静岡のビューティーサロンが1000円で楽しめる本
「womoビューティーパスポート」!
リラクゼーション、脱毛、ネイル、まつげエクステなど、
2000円~1万4700円の多彩なサービスを、すべて1000円でお試しいただけます。
1回の利用で本代の元が取れ、利用すればするほどきれいになる
「womoビューティーパスポート」。こんな方におすすめです。
「エステに行ってみたいけれど、メニューや価格がいろいろでどれを選べばいいかわからない」「気になるサロンを試しにのぞいてみたかった」「いろいろなお店の雰囲気や施術を比べてみたい」etc…。
マッサージなど、男性も利用できるお店もあります!
わたしもこの機会に体験してみようと思っています。
・『womoビューティーパスポート』特設ページはこちら↓
http://shizuoka.womo.jp/beauty/pages/index/viewtpl/passport/
「
womoビューティーパスポート」は、書店・コンビニで発売中。
お得プランは、1店につき3回まで使用可能(有効期限は2014年4月30日まで)。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「womoビューティーパスポート」(発行:しずおかオンライン)
◆発行日:2014年2月14日(金)
◆掲載店:静岡〜藤枝市のビューティーサロン51店
◆販売店:藤枝市~静岡市の主要書店、コンビニ
(コンビニは、ローソン、ファミリーマート、サークルK、ミニストップ)
◆価 格:933円(税別)
プロの書き手によるさまざまなコンテンツを束ね、週刊、月刊、または季刊などの一定のサイクルで流通させて、その費用を読者と広告主に負担してもらうことで成り立っている紙の雑誌。同じように、プロ(何を持ってプロとするかはここでは考えない)のコンテンツを、ウェブ上で読者に届けることでメディア化しようとする試みはいろいろありますが、いまだに確固とした成功モデルは確立されてはいません。
紙の雑誌のように、ある特定の収益モデルに帰結するのではなく、さまざまなカタチが並存しているウェブメディアの可能性が、どのあたりにあるのか気になるところですが、2012年9月にスタートしたデジタルコンテンツの配信プラットフォームcakes(ケイクス)を運営するピースオブケイク代表の加藤貞顕氏と、今年で16年目の「ほぼ日刊イトイ新聞(以下、ほぼ日」)を運営する糸井重里氏の対談「
糸井さん、ぜんぶ聞いてもいいですか?」が、興味深い。対談とはいいながら、その中身は、新人経営者・加藤氏が、糸井氏にお悩み相談をしている様相になっているのですが。。。
すべてのコンテンツが誰でも無料で読むことができる「ほぼ日」に対して、無料記事でユーザーを集めて、そのうちの何割かの人を有料会員(1週間150円の購読料)に育てる、まさにフリーミアム・モデルにチャレンジしているcakes加藤氏に、糸井重里氏は、「“このcakesにはいま払っちゃダメだ!” という気持ちがすごく強くある。ぼくは “あそこに道はないだろうな” って薄々思ってる。その一方で、ニコニコ動画のプレミアム会員には飛びついた」と言い、その理由も語っている。
書き手に対するスタンスでも、ふたりは考え方が違う。書き手に原稿料を払うcakesに対して、「ほぼ日」は「いまでも読みものページの原稿料は、原則無料のまま。「商品」の部分ではギャランティが発生する」のだそうだ。それは、コンテンツそのものが商品であるcakesに対して、「ほぼ日」の収益源が、実はオリジナル手帳やTシャツ、腹巻きなどの物販であることにもよるのだろう。
「ほぼ日」が醸し出している「実態はわからないけど、なんか楽しそう」とか「好きなことだけをやっていそう」なイメージと、「いつでも上場できるくらいの資格を持っていないと生き延びられない」という糸井重里氏のコメントのギャップを埋めるように、「ほぼ日」の組織や、社員教育、経営者としての考え方、など、「こんなに経営や組織についてしゃべったのははじめて」というほど糸井氏本人が語っている。ウェブメディアとして「cakes」と「ほぼ日」の今後の展開(上場含む)が楽しみである。
しずおかオンライングループには、G8という文言があります。そのうちのひとつが「自分の意見を必ず言おう」というもの。いまよりも、もっとみんなが発言すれば、「自分のつくりたいこと、やりたいことに近づくんじゃないの?」「ものごとが、はやくころがりはじめるんじゃない?」ということをこめている。
でも、いざ議論の場になると、そうカンタンにはいかない。毎度、「これはスゴイ!」と思えるアイデアが思いつくわけではないし、若手であれば「こんな意見を言ってもいいのかな」と周囲を伺い、ベテランは「この程度のアイデアではちょっと恥ずかしいな」と、すごくいいたいのに我慢したり、自分は本気でも「ふざけてないで、まじめに考えろ」と言われそうな気がしたり。そんな経験は誰にもあるのではないだろうか。そのうちに議論の場は、重い空気に包まれて、ますます発言しにくくなっていく。
先日ある方にJon Bellさんの「
マクドナルド理論」というものを教えていただいた。これは、かつてあった「
マクドナルドが進出している国は戦争をしない云々…」という理論の方ではない。最初に最悪のアイデアを出すことで、次の意見が出やすくなる、停滞していた議論が動きはじめる、というもの。
「今日のランチはどこで食べる?」という話になった時、「マックにでも行く?」と提案すると、即答で「マックはやめようよ」と意見が一致し、不思議とよりよいアイデアが出てくる。そんな例えから「マクドナルド理論」といわれているようだ。
確かに、最初の一歩を踏み出す大変さにくらべたら、二歩目の方が簡単である。誰かが口火を切ってくれれば、「じゃ、私は…」と続きやすい。さらに、最初の意見が、実行可能な最悪のアイデアであれば、その最悪のアイデアをなんとしても阻止しようと、議論は動きだす。ハードルが低いだけに「それならこっちのほうがいいよね」といいやすいしね。
会議やプロジェクトなどで議論が行き詰まった時に、この「マクドナルド理論」を使ってみるのは実行可能性が高いと思いますが、どうだろう?わたしのこの思いつきこそが「
実行可能な最悪のアイデア」であったならば、ぜひ、ここから議論を深めていただきたい。
さて、今日のランチはどこにいく?
追伸
今日の昼は、なんと池袋サンシャイン地下のマックでした。時間はないし、「それならこっちのほうがいいよね」と言ってくれる人もいないし、ほかのお店は行列だし。マックも行列でしたが、カウンターの処理スピードが段違に早い!今期の業績は厳しいようですが、やっぱりマックはすごいと思います。
昨年の暮れに、仕事で東京に向かう新幹線の中で、偶然にも知り合いに遭遇した。彼は、40代、独身、IT系の仕事に従事。平日の午前ということもあり、「東京で打合せですか?」と聞いてみた。「えぇ、まぁ…」と口ごもった反応が。そうなると、こちらもムクムクと興味が湧いてくる。「…で、打合せはどちらですか?六本木、それとも渋谷?」と突っ込んだ末の回答が「
実は…、パンダを見に上野まで」。
その瞬間、わたしと彼の間は温かな空気に包まれた。「パンダ」の力にもよると思いますが、平日昼間に大人の男性が一人で動物園にでかけるというシチェーションがそう感じさせたようにも思う。うまく言えませんが、ちょっとカッコいいといますか、いわくありげと言いましょうか。
わたしが「動物園」の不思議な魅力を意識するようになったのは、「雨の日の動物園」の話や「象の消滅」、「カンガルー日和」など、村上春樹の小説に多分に触発されていることは間違いありませんが、きっと動物園に対する印象は、人によりさまざまなのだと思います。
そんな動物園にまつわる思い出やエピソードをみんなで共有しようという企画が、eしずおかアルバム「動物園のエピソード」としてスタートしました。今回は、いわくありげな大人の動物園ではなく、こどもや家族が主役のエピソード。そんな中にも、新しい発見や驚き、幸せな瞬間が詰まっていそうです。どんなエピソードが集まるのか、いまからちょっとたのしみです。
※投稿された写真の一部は、ガイドブック「こどもとおでかけ」(発行:株式会社しずおかオンライン)2014年版の誌面や、子育て情報満載のウェブサイト「womoママ」に掲載させていただきます。
↓eしずおかアルバム「動物園のエピソード」:詳しくは、下記ページをご覧ください。

映画「ハンナ・アーレント」を観てから、ウィリアム・ショーンの人物像を確認したくなり、週末はリリアン・ロスの自伝『「ニューヨーカー」と私』(新潮社)を再読。
リリアン・ロスは雑誌「ニューヨーカー」の作家。編集長だったウィリアム・ショーンとともに過ごした四十年間の生活を綴った作品が『「ニューヨーカー」と私』(原題「Here but Not Here」)である。210ページから212ページにかけて、ハンナ・アーレントとの「困難きわまりない」編集作業の様子も描かれている。
多くの作家から「あなたのために作品を書くんです」といわれたウィリアム・ショーンは、その度に困った顔をしていたのだという。彼の編集によって見違えるほど素晴らしい原稿が誕生し、大成していく作家の影に隠れ「ぼくはかき消されてしまった」「人間というより幽霊みたいだ」と感じていた彼の複雑な心境が想像される。
「誰も傷つくことのない幸せな生活」を送ったというリリアン・ロスの思いとは別に、妻のいるウィリアム・ショーンとの生活が本書で公開されたときの、その「事実」に対する反応は、彼女が思っていたほど単純ではなかったという。
映画「ハンナ・アーレント」の中で、ウィリアム・ショーンが「一つの解釈だろ」とハンナ・アーレントに指摘する場面があり、そのときアーレントは「(それが)事実だわ」と答える。事実は一つであっても、その受けとめ方は、受け取る者の視点によっていかようにも違ってしまう。
『「ニューヨーカー」と私』は、「この愛の物語にはひとりの悪役も登場しない…」というまえがきで始まっている。この言葉もリリアン・ロスの「一つの解釈」であり、彼女の願いなのだろう。
先日、静岡シネ・ギャラリーで映画「
ハンナ・アーレント」を観てきました。ハンナ・アーレントは、第二次大戦中にアメリカに亡命したドイツ系ユダヤ人、20世紀を代表する哲学者で思想家の一人だそうです。わたし自身は、この映画を観るまでハンナ・アーレントのことは知りませんでしたが、雑誌「ニューヨーカー」の名物編集長ウィリアム・ショーンがハンナ・アーレントの原稿をチェックするシーンがあると知り、興味を惹かれて出かけてきました。もちろんウィリアム・ショーンは、本人ではありませんが。
映画の中のウィリアム・ショーンは、小さなテーブルを挟んでハンナ・アーレントと向かい合い、「さあ始めようか」と腕まくりして、原稿をチェックしはじめます。作家と編集者が共同で原稿内容に目を通し、文章の明晰さ、論理性、文法、構成、英語の言葉の美しさなどへの追求を忍耐強く、そして徹底的に行うシーンを見ながら、「ニューヨーカー」の作品はこのようにして産み出されてきたんだなぁと想像しました。
「自発的に行ったことは何もない。善悪を問わず、自分の意志は介在しない。命令に従っただけなのだ」と、同じことを同じ言葉(役人用語)で繰り返すナチス戦犯アイヒマン。ハンナ・アーレントは、そんなアイヒマンについて、このように報告しています。
「彼の語るのを聞いていればいるほど、この話す能力の不足が考える能力―つまり誰か他の人の立場に立って考える能力―の不足と密接に結びついていることがますます明白になってくる。アイヒマンとは意志の疎通が不可能である。それは彼が嘘をつくからではない。言葉と他人の存在に対する、従って現実そのものに対する最も確実な防衛機構、すなわち想像力の完全な欠如という防衛機構、で身を鎧っているからである」
「想像力の完全な欠如という防衛機構」という表現に、なるほどと思いつつ、同時に、誰の中にもそういう部分は存在してて、目の前の対象によって防衛機構が発動することがあるような気もします。
自身の信念のもとに書いた「ニューヨーカー」の記事によって、世界中を敵に回してしまったアーレントが、学生たちに向かって行う最後のスピーチが、この映画のクライマックス。
「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そしてこの現象を、私は『悪の凡庸さ』と名づけました」
「人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。“思考の嵐”がもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう」
人々の反感を引き起こすことになる文章についてウィリアム・ショーンが「一つの解釈だろ」とハンナ・アーレントに指摘する場面。「事実だわ」と、信念を曲げようとしないアーレントを黙って受け入れる?ウィリアム・ショーンの表情に、なにが起きても作家の表現の自由を守ろうとする編集者の姿を見た気がしました。
・静岡シネギャラリー/映画「アンナ・ハーレント」上映情報
http://sarnathhall.eshizuoka.jp/e1231506.html