静岡市で中心市街地活性化に取り組んでいる知人の依頼で、静岡市の街づくりについて語る番組に出演。…とはいっても、映像はUst配信。個人的な2010年初体験のリストにUst視聴は外せないが、年末ぎりぎりでそのリストに「Ust番組への登場」も加わった(笑)。

ナビゲーター役1名、コメンテーター役1名、ゲスト1名(これが私)の3名で、約1時間半程静岡市の街づくりについて話す。この種の話では、「以前程ではないかもしれないけど、静岡市の中心市街地にはまだまだ人が集まっているし、そこそこ“都会”だよね。少なくとも県内では頑張っている。でも、このままでは…」という話が聞かれる。その時に毎回感じる違和感が、「どれだけ都会(的)か」というモノサシ。「都会」度というモノサシで街の魅力を計っている限り、満足はありえないということと、みなさんのいう都会ってなんだろう、ということ。静岡に限らず地方の街がどんなに頑張っても東京(のような都会)にはなれないし、なる必要もない。街のエネルギーを計る上で、消費の総量と活性度が重要な指標であることには間違いないけど、そこでは消費の中身について語られることも少ない。

確実にいえることは、これからの10年(2010年代)で静岡市の25〜35歳の女性人口が、約20%も減ること。街に華やかさや賑わいを演出し、消費を牽引するといわれるその世代が、静岡市から2割も減る事実をしっかりと理解することが大切。否応なく街はダウンサイズし、若者が減りつつある中で、10年後20年後にどんな街を作っていくのかという視点が、不可欠ではないか。

静岡市に限らず、すべての地方都市は、「都会」度というひとつのモノサシで街を評価する競争から離脱したほうがいい。そして、自分の暮らす街の魅力を計る新たなモノサシが必要な時期を迎えている。

今年の流行語?のひとつに、「断捨離(だんしゃり)」がある。わたしは会社の女性社員に教えてもらったのですが、若い人ほど「脱所有」「脱消費」志向を感じる。街づくりの中にも「脱所有」「脱消費」の視点を取り込んでみてはどうだろう。そこに、より豊かな街の可能性を感じるのは、わたしだけだろうか。

夜に開催した新卒読者会では、『ブックビジネス2.0』を取り上げた。「「wikipedia」は利用はするけど、書き込みに参加する人の気持ちはよくわからない」という感想があった一方で、自分の知識を提供するのはかまわない、という感想もあった。クルマをシェアすることは一般化してきているようですが、これからはモノだけじゃなく、知識や体験もシェアする時代になっていくのだろう。そんな時代に、消費の現場はどう変化していくのか、街の中で行われる人々の「体験」はどんな姿に多様化するのか、興味深い。

Ust配信の視聴者数は数人だった(笑)ようですが、iPhone4とMacBook、事務所の一角を簡易スタジオにしたゆる〜い雰囲気での映像配信は、とても新鮮な体験でした。街の中にインディペンデントな放送局がいくつも立ち上がり、好き勝手に放送している…わたしたちはそんな(こともできる)時代を迎えている。あと10日で、2010年代だ。

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