快晴。「今夜はブギーバック」を聞きながらプールへ。1500m。泳ぎ始めてからもしばらく頭の中で流れていたが、泳ぎとリズムがまったくかみ合わない。表拍と裏拍、手足の動きがバラバラになりカラダが沈んでいく。まぁ、あたりまえか。
午後、『向田邦子を旅する』(マガジンハウス)をペラペラと眺めていると、エッセイ集『眠る盃』のこんな文章に目が止まった。
「
偏食・好色・内弁慶・小心・テレ屋・甘ったれ・新しいもの好き・体裁屋・嘘つき・凝り性・怠け者・女房自慢・癇癪持ち・自信過剰・健忘症・医者嫌い・風呂嫌い・尊大・気まぐれ・オッチョコチョイ………きりがないからやめますが、貴男はまことに男のなかの男であります。 私はそこに惚れているのです。」
向田邦子の愛の告白である。相手は、彼女のかけがえのない存在だったマミオ。
猫科で一癖ありそうだが男らしい、いい名前である。実際マミオは、彼女の愛猫なのだ。
そのまま『
向田邦子の恋文』(新潮社)を再読。
昭和38年11月から翌39年2月にかけて、向田邦子がN氏(向田邦子が“人生をかけた人”)に宛てた手紙5通、電報1通、N氏から向田邦子への手紙3通、N氏の日記を公開したもの。
最初に手にしたときは、向田邦子の手紙に興味が惹かれた。甘えたり、ちょっと拗ねてみたり、愚痴をこぼしたり…。細やかな心遣いとユーモアが感じられるN氏への手紙からは、作品からは窺い知れない一人の女性としての素の姿を垣間みることができる。
今回はN氏の日記に関心をもちながら読む。時候に加えて、その日放送されたの彼女の番組に対する感想、それから昼食や夕食の献立が律儀に書き留められている。
「……昼食:トマト、キュウリ、卵2、パン…。5時 邦子来る。夕食:さしみ、邦子製八宝菜、わかめの酢のもの、おでん と豪勢に並べてパーティー。10時 邦子帰ってゆく。 新聞¥56、バス¥35、国電¥40、ジュース¥25、資料¥800」(昭和38年12月24日のN氏の日記より)
放送作家としてラジオやテレビの締め切りに追われて、しょっちゅうホテルに籠って原稿を書いていたという向田邦子宛の手紙に、N氏はこんな言葉を添えている。
「
…では仕事が一段落したらー
ーそんなのないとおっしゃいましょうけどー
おめかしもどうぞ。
では もう一度、大事にね。」
「睡眠不足」で「さすがに疲れていて」「少しばてていて」「連日の徹夜続きのせいか、やつれがひどい」状態だった向田邦子が、唯一こころ安まる場所がN氏だった。そして昭和39年2月9日のN氏の日記にはこんな記述も…。
「
邦子はコタツで横になって満足そう。ふと可哀想にもなったりする。」
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