近所の寺の庭先にある1本の白木蓮。ちょっと寂しげな白い花が、青空に眩しい。
このところ、時間旅行の話を探しているのだけどなかなか見つからない。久世光彦の『向田邦子との二十年』(ちくま文庫)を読んでいたら、ある雑誌から依頼された〈無人島に持っていく一冊の本〉というアンケートに、久世光彦も向田邦子も夏目漱石の『我が輩は猫である』と答えていたというエピソードがでてくる。
久世は、向田邦子が同じ回答をしていたのを見て「もう一つ向田さんを信用した」のだという。昭和十年代生まれ(ふたりとも)に夏目漱石がどんな影響を与えたのかはわからないけど、本にしろ音楽にしろ「自分と似た思考や嗜好や志向や(?)をもっている人なら信用できる」、そう思いたくなる気持ちはよくわかる。
次に草枕。「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」まで空で言えた久世に対して、向田邦子はさらにその先の「住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画(え)ができる。人の世を作ったものは神でもなければ、鬼でもない…」あたりまで覚えていてびっくりしたという。そして「私たちぐらいの世代までは、漱石を暗記していても珍しいことでもなかった」と続く。さて、わたしたちの世代で、だれもが諳んじることのできる文章などあったかなあ。あったような気もするけど、思い出せない。誰にも知られているといえば、今では小説よりも自己啓発書や相田みつをあたりの文章か。
テレビドラマ「寺内貫太郎一家」の脚本を書いていた向田邦子は、台本のト書きに〈寺内貫太郎一家・今朝の献立〉を記していて、ある時「ゆうべのカレーの残り」と書いてあり、撮影現場のスタッフ一同が感心したという。そんなどこにでもころがっていそうな日常を拾い、おかしく、ときには物悲しい話に仕上げる手腕は、いかにも向田邦子らしい。久世同様にわが家で思い出す〈ゆうべの残り〉といえば、冬の朝の魚の煮物。鰈や鱈の煮汁が固まってゼラチン状になった煮凝り(べっこ)を、熱いご飯にのせ浸みたところを口に入れると醤油の味が広がっていく。ゆうべの残りもので、ちょっと得した気分になった。〈ゆうべの残り〉にまつわる話は、まだ続く。
「
家族そろっての朝の食卓には、ほかにもいろんな〈ゆうべの残り〉があったものだ。ゆうべ、夕食のときに些細なことで父親に叱られて、しなければ良かった口答えをしてまた叱られて、謝るきっかけが見つからないまま、父は足音荒く自分の部屋に入ってしまった。うろうろしていると、母が口の形だけで『明日でいいから』と言っている。
翌朝、家族が席に着きおわるころ、父が朝刊を片手に茶の間に入ってくる。ゆうべのことがあるから、みんな静かである。母が味噌汁をよそいながら、軽く促すように私の名を呼ぶ。私はちょっと座りなおして父に頭を下げる。下手な台詞を言うとまたしくじるから、黙って頭を下げるだけである。兄も姉も、いつだって子供たちはこうして危機を脱してきた。そのためのセレモニーである。
父がいっしょ盛りのお新香にわざと乱暴に醤油をかける。家族たちが小さな非難の声をあげ、それからみんなで笑い、セレモニーはいつものように終わる。〈ゆうべの残り〉の〈べっこ〉が口の中で解けていくように、ゆっくりと我が家の団らんが戻ってくる」。
それぞれの家にささやかな日常を維持するためのセレモニーがあって、「あ・うん」で自分の役回りを演じられるのが家族というものなのだろう。
そういえば以前〈無人島に持っていく一冊の本〉というお題で、わたしも本を選んだことがある。その時は、自分がまだ読んでいない本を取り上げ、驚かれたというか、ひんしゅくをかってしまった。時間がたっぷりあるからこそ読めそうな本を選んだのですが、いま思えば「そんな場面で読んでもいない本を取り上げる人間をどうして信用できようか」「その発想がすでに信用ならん…」そんな同席者の気持ちもよくわかります。はい。