自分の記憶ほど信用できないものはない。
先週、雨にまつわる本を選ぶ必要があって、最初に頭に浮かんだ二冊の本のうちの一冊が、 ジェイムズ・スティヴンスンのコラムだった。タイトルも忘れてしまったのだが、たしかこんな内容。
ニューヨーク、マンハッタンの夜明け。摩天楼も薄暗い闇に包まれている早朝に、東にそびえるパンナムビルに向かって44番街を歩いている。明け方少し前に降った雨が路肩に溜まり、川をつくり、小さな湖をつくっている。水たまりに寄せ集まった、煙草の箱やレモンの皮、紙コップ、新聞、油などを眺めながら歩いている。5番街の手前までやってきて、ふと最後の水たまりを見ると、水面に青空と朝日に包まれたパンナムビルが映っている。水面に映る青空を見ながら「今日も、いい一日になりそうだ」と思う。
…たしかそんな内容の短いコラム。明け方、水たまりに映る青空を見て「今日も、いい一日になりそうだ」と思う。そんな日常の中にころがっている、ささやかな幸せ感が印象的だった。きっと著者は、明け方まで出版社で原稿をチェックしていて、これから帰る場面なのだろうな…と勝手に想像した。(ぼくのあやしい記憶によれば、「NewYorker」社はマンハッタンの44丁目ちかくにあって、ジェイムズ・スティヴンスンは、「NewYorker」の作家だったんじゃなかったかな)
パンチはないけど、「雨」にまつわるこの小さな話は好きだった。
なにかの足し(なんの足しかわからないけど)になればと、もう一度読み返すことにした。タイトルは思い出せないけど、ぼくが持っているジェイムズ・スティヴンスンの本は、『大雪のニューヨークを歩くには』(筑摩書房)の一冊だから、その中に入っているだろうとページをめくってみたのだけど、こんな話はどこにもなかった。
俺の記憶だからな、信じた自分が…。
思い直して、訳者である常盤新平の本をめくっていると『キミと歩くマンハッタン』(講談社)の中に「西44丁目の湖面にうつる青空」というエッセイを見つけた。土産にもらった週刊誌「NewYorker」1977年4月25日号に載っていたジェイムズ・スティヴンスンのこのコラムを読んだ常盤新平が、久しぶりにニューヨークの街を歩きたくなった、と書いている。ジェイムズ・スティヴンスンで間違いなかった。
俺の記憶も、まんざらではないじゃないか…(笑)。
ということで、久しぶりに読み返してみると、今度は、路肩にできた水たまりは「雨」が降ったからではなくで、市の清掃車の撒いた水だった。ちっとも、雨なんか降ってやしない。
やっぱり俺の記憶だからな…。
(実は、こんなストーリー)
先週のある日の午前6時、私たちは44丁目の6番街と5番街のあいだを歩いていた。
あたりはまだ薄暗くひっそりしていて、
太陽はパンナム・ビルなどの摩天楼の後ろに隠れ、
通りはくすんだダークグレーだった。
突然市の清掃課の大きな白いトラックがやってきて、
下から水を撒いていった。トラックは騒々しく東へと向かい、
まもなく姿を消した。けれども通りは一変した。
白っ茶けたペーブメントが浅い、きらめく海の下に消えた。
歩道ぎわの溝にはいくつもの川が流れ、
それらはさらにいくつもの支流に分かれ、
急流や滝をつくり、湖や池に流れ込んでいた。
1羽の鳩が小さな磯湖をわたり、
その赤い肢が奇術師が使う輪のような円をいくつもつくった。
通りを行くトラックやタクシーはシューッという音を立て、
水飛沫をあげ、蛇の皮がペルシア絨毯にも似た、
長く青白い跡を残していった。
水は、電力会社が掘った穴のそばの土の山に流れて、
そこに黄土色の池をつくった。
青みがかった銀色の油が溝を滑ってゆき、ペイズリー模様や心電図、
玉虫色のシルク、大理石模様、アール・ヌーボーにかたまった。
水が流れる通りのまん中には、曲がりくねった、
ロールシャッハのような図柄ができた。
泡が歩道の縁の急流に乗っていた。
小川は煙草の箱やレモンの皮、びしょ濡れの紙袋、
マッチ、若葉のついた小枝、紙コップ、わら、
フランス語の新聞のところで分かれた。
44丁目を5番街まで来ると、そこに最後の湖ができていて、
その東岸は、30の同じ大きさの穴のある鉄格子になっていた。
水はそこまで来ると、ひとつひとつの穴に呑み込まれ、
音を立て飛沫をあげて、下の排気溝へ落ちていった。
わたしたちは、最後の水面に青空が映っているのを見て、
空を仰ぎ、素晴らしい一日になると思った。
(『キミと歩くマンハッタン』常盤新平/講談社より)
ところで、「朝日に包まれたパンナムビル」なんて、どこにも書いてない。。。
やっぱり俺の…