新宿副都心と言えば、国内でも有数の超高層ビル街。その中にあってゴシック風のひときわ目立つシンボリックな高層ビルが丹下健三氏設計による
東京都庁舎です。この都庁舎を建てるにあたって、超高層ビル案を前提としたコンペに低層案で挑んだ磯崎新の新都庁舎案の生まれる過程をドキュメンタリー風にまとめた一冊が『
磯崎新の「都庁」』(平松剛=著、文藝春秋)です。幻に終わった磯崎新の新都庁舎案と、戦後日本最大と言われる公共建築コンペの背景に興味を惹かれて、久しぶりに建築の本を読みました……▼大規模な公共建築は、目的、利用する人・モノのボリューム、場所(土地)や環境風土、歴史・文化、そして現在と未来の役割や希望など、さまざまな要素が折り込まれて建築設計の基本構造が立ち上がってくるもの。それが適正かどうかは、複数の視点から専門的な立場の方々の確認、手続を経て、ようやく実現するもの、というイメージがありました。
実際、都庁舎コンペに参加するにあたって、磯崎新アトリエのスタッフは、都庁職員の数や組織図、それぞれの部署がどのように連携しているか、文書はどのように行き来するのか、都民の来庁者がどの部署に多く訪れるのか、などを調査しています。
それらの調査結果として、新都庁舎設計の正しい答えが導き出されるのかというと、そうではないところがおもしろい。つまり、カタチに“正解”などないわけですね。
もちろん、要求される基準はクリアした上で、建築の特徴がもっとも表われる意匠デザインなどのカタチは、建築家個人の想像力や発想によって生み出されるということが、本書を通じてよくわかりました。(同時に、どの案を採用するかを決定する審査員の重要性も)
「(説明などは)後からどうとでもなります」という丹下健三氏、「先にカタチがあって、後から(どうしてこんなカタチが生まれたんだろうか)と、段々言葉が見えてくる」と語る磯崎新氏。ふたりとも、自らの美意識や直感に従って判断していく。それは同時に、設計者の美意識や直感が仮に時代とズレていたとしても、そのままカタチになってしまう可能性も孕んでいることになります。
丹下健三氏の“都市の軸線”や、磯崎新氏の“空中都市”など、建築家としての強烈なこだわりが感じられました。
新都庁舎コンペにあたっては、「錯綜体」(リゾーム)をコンセプトに、○×△□のプラトン立体で構成を試みた磯崎案は、87メートルの2棟の中層の本庁舎と、本庁舎の間を幅32メートルの大広間が約300メートル一直線に連なるスケールの大きなもの。
大広間の上空、2棟の本庁舎の間には、宙に浮く球体とピラミッドが配置され、時間とともに天井からの光が微妙に変化しながら大広間に差し込んでいく。未来に、そして都民に開かれた新しい時代の都庁舎のイメージが強く伝わってきます。
磯崎都庁舎は実現することはありませんでしたが、いつか、別の場所で、別の形で、さらに発展した姿の公共建築としてカタチになったら、ぜひ訪ねてみたい。
身近なところでは、静岡市の東静岡駅前に建つ「
グランシップ」も、磯崎新アトリエの作品。こちらはどのようなプロセスで磯崎新アトリエが選定され、どんなコンセプトででき上がったのでしょうね。
それにしても、新都庁舎の建築場所から、機能、テーマ、竣工時期、審査会のメンバー選定まで、鈴木俊一都知事の意向に沿って決められたようです。知事の持つ権限の大きさの一部を垣間みた思いです。
※丹下健三設計による巨大なツインタワー・東京新都庁舎が落成したのが1991年。当時の僕の職場は渋谷にありましたので、興味があればいつでも見物に行ける距離でしたが、なぜか出かけた記憶はまったくありません。(覚えていないだけ?…笑)
※六本木ヒルズが誕生した時に磯崎新氏よりさらにふたまわりほど若い世代の建築家が「まるで“遺跡”を見るようだ」とどこかで発言していましたが、その後、新宿副都心にそびえるゴシック風のツインタワーを自分の目で見上げたときに、若い建築家の気持ちがわかる気がしました。