今年のゴールデン・ウィークは、すっかりアカデミー賞ウィークになってしまった。シネ・ギャラリーで上映中の第81回米国アカデミー賞ノミネート・受賞作品『スラムドッグ$ミリオネア』『ミルク』に続き、今日は『フロスト×ニクソン』を観る……▼1977年、英国のコメディアン出身でトーク番組の司会者デビッド・フロストが、
ウォーターゲート事件で失脚した元米国大統領リチャード・ニクソンを相手に行なった
米テレビ界伝説のインタビュー番組の、収録模様とその舞台裏を描いたもの。

映画としての見所はいろいろとあると思いますが、
それらはプロの映画評や映画好きのブロガーさんに譲るとして
僕自身がこの映画を観ながら感じたことは二つ。

ひとつは、テレビというメディアの特徴が上手く描かれている、
ということ。

その時、その瞬間に何が語られたか、
ということはもちろん重要ですが
画面にアップで映し出される人間の表情そのものの映像を通じて、
(汗、声の震え、うつろな目線、緊張感、表情筋の弛緩…、etc)
言葉ではこぼれてしまう多くの情報を
視聴者にダイレクトに伝えてしまうテレビの持つ力こそが、
(最近も国際会議で泥酔した姿が問題になった某大臣の例もありますね)
この映画の一番の見所ではないでしょうか。

同番組は同じ時間に約4500万人もの人がライブで視聴したようですが、
これだけ多くの人に同時配信し、映し出される人物を一夜にして、
よくも悪くも別人に見せてしまうことを可能にする…、
現時点では、テレビというメディアにはできて、
ユーチューブではできないことの一つだと思います。

映画の中でニクソンを演じたフランク・ランジェラの表情が見ものです。

そんなテレビの持つ力をストレートに活かす番組が
もっとあってもいいような気がします。

ふたつ目は、“インタビュー”というものの奥深さ。

フロストはこのインタビューに、アメリカ進出の足がかりを、
ニクソンは汚名返上と政界復帰を賭けて望むのですが
インタビューの勝者は常にどちらか一人。

映画では、第1ラウンドから第3ラウンドまではニクソンが堅実にポイントを稼ぎ、
最終ラウンドでフロストが一打大逆転したわけですが、
事前の準備と駆け引きによってインタビューの勝敗が大方決まるというのは、
どんなインタビューにもあてはまることですね。

映画の中で印象的だったのは、
フロストの痛烈な一打によって
開ける予定のなかった心のドアをこじ開けられ、
結果としてインタビュー戦の敗者となったニクソンが、
その後、清々しい顔つきになっていく様子。

「ここまでは話してもかまわない」
「これは、様子をみて判断しよう」
「ここから先は話さない…」

インタビューを受ける人(する側も)は多かれ少なかれ
心の中に何層かの部屋を持ち、
インタビュアーによって、どこの部屋まで見せるか
考えているのではないでしょうか。

時には、自分も忘れていた(気づかなかった)部屋に
インタビュアーによって導かれることもある。
そこに、インタビューの面白さ・醍醐味があると思います。

一番つまらないのは、
お約束のことをお約束どおりに互いに演じる
予定調和のインタビューですね。

テレビに限らず、雑誌などで企画される小さな取材でも
インタビューでは同様のことをおこなっているのですが、
最近ではインタビュアー自身がそのことを忘れていることが多い?

もし、そうであるとしたら、それはあまりにもったいないですね。


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海野 尚史 HISASHI UNNO

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