先週放送されたNHKの「私のこだわり人物伝」で、写真家・星野道夫を取り上げていました。番組でも取り上げていた星野の遺稿集となった『森と氷河と鯨』(世界文化社)を久しぶりに読み返す……▼写真集『グリズリー』でデビューした星野道夫は、動物写真家とみなされることもあったようですが、番組に登場していた、写真家で星野とも交流のあった今森光彦氏によると、星野は単に撮影の対象としてアラスカの動物をおいかけていたわけではないこと、本人も動物写真家としてくくられることに違和感を感じていたこと、などを伝えていました。

森と氷河と鯨』の中で星野道夫は、グリズリーやムース、ザトウクジラなどを育むアラスカの自然そのもの撮影しながら、次第に、太古の気配を感じさせるこの土地に生き続けて来た先住民の人生観や歴史、彼らの中に伝わる世界の創世主であるというワタリガラスの創世神話に興味をもちはじめたこと、などを記しています。

先住民たちの祖先が立てたトーテムポールの多くは、幾年月もの間その土地を守り続けた場所から持ち去られ、いまは博物館の中に収容されているのだという。

人類史にとって貴重な資料だとして博物館などに保存しようとする外部の力に対して、「いつの日にかトーテムポールは朽ち果て、自然の中に還っていく。そして、そこは聖なる場所となる。なぜそのことがわからないのだ」
大切なことはカタチあるモノではない…、と考える先住民。

森と氷河と鯨』を読み返しながら、本書はワタリガラスの神話を求める旅をつづりながら、同時に「目に見えるものに価値をおく社会」から「目に見えないものに価値を置くことができた社会」へ魅かれていく星野道夫の心の旅の記録ではないかと思う。

目に見えないものまでをも映そうとしている、そんな星野道夫の素晴らしい写真とともに、各章の扉に記された、先住民たちの間で語り継がれてきたコトバも、何度も繰り返し読みたくなる魅力をもっているものばかりです。

  おまえが大きな船に乗り
  私が小さなカヌーに乗っていても、
  私たちは同じ生命の川を分かち合わなければならない

  (アメリカンインディアンの古老、オーレン酋長)
                  『森と氷河と鯨66Pより


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