児童文学作家の清水達也さんが、この5月に亡くなった。
午後、用宗にある子どもの本の資料館「遊本館」へ。「遊本館」は清水さんの私設図書館であり、ここから多くの清水作品が生まれている。清水さんとの出会いは、フィールドノート社時代に発行した雑誌『静岡あるく』(vol.2-1999年)の連載企画「私に居心地のいい場所」の第ニ回目に登場していただき、「遊本館」についてお話を伺った時から。
8月初旬に開催された「忍ぶ会」には奥様からお声をかけていただいたのですが、わたしがアメリカ旅行中だったこともあり、参加できなかった。旅行から帰ってきたので、お線香をあげさせていただきたい、と連絡したところ、「今週と来週末は「遊本館」を開けるので、そちらでお会いしましょう」ということになったのだ。
遊本館には、清水さんの著書がきれいに整理されていて、奥様から一冊ずつエピソードを添えながら、説明していただく。清水さんが若い頃主宰していた詩の同人誌や、中には寺山修司や岸田衿子と一緒に作品が掲載されている詩集など、貴重な資料も拝見させていただいた。
清水さんは静岡県内各地に伝わる民話を採集していて、『天女の羽衣』『しっぺい太郎』『ぬまのばあさん』など、その中から多くの作品が誕生している。
部屋の片隅にあったパソコンを指しながら、「このパソコンの中には、清水が集めたままカタチになっていないお話が、未整理のまま残っているんです」という奥様の話を聞きながら、清水さんに最後にお会いした時の「遠州地方の言い伝えや○○の物語など、たくさんの県内の民話が、わたしの頭の中に残っているんですよ。時間がなくて、そのままになってしまっている」という言葉を思い出す。
「それら未整理の資料もすこしずつ掘り起こさなくては。当分、忙しくなりそうです」という奥様。それらがいつかカタチとなり、新しい世代に伝わっていってほしいもの。前の世代から受け継がれた物語を、次の世代に引き継ぐことも、その土地に暮らす人の大切な役割である。
その土地に伝わる言い伝えや民話を、途絶えることなく後世に残していくための方法は、今こそいろいろと考えられるのではないか。