高松まで来たついでに、週末は牟礼にある「イサム・ノグチ庭園美術館」と、
直島の「李禹煥美術館」に足を延ばす。

「イサム・ノグチ庭園美術館」は、晩年にイサム・ノグチが過ごした
牟礼のアトリエと住まいが美術館となっていて、
約150点ほどの彫刻作品が展示されている。
素材である石が、彫刻という方法で彼に手を入れられることで、
内部のエネルギーが解放されて、それがイサム・ノグチの作品に共通する
「張り」を産んでいるのではないかと思う。

深澤直人が、『デザインの輪郭』(TOT0出版)の中で
「張り」ということについてこんなことを書いている。

「輪郭は動いている。輪郭には、相互にさまざまな関係の力が加わっている。
そのものの内側から出る適正な力の美を「張り」といい、
そのものに外側から加わる圧力のことを「選択圧」という」。
イサム・ノグチの彫刻は、内側からの適正な力が輪郭に力強さを与え、
それが美しい「張り」を形成しているということか。

以前はイサム・ノグチの作品から何かを感じることはなかったのだが、
今回ここに来て作品に触れてみて、印象が大きく変わった。
どの作品も力強いし、とても自由にみえる。
彫刻が並ぶ庭園は、背景に見える屋島の眺めも含めて、
ひとつの素晴らしい空間作品となっている。とても気持ちがいい。

日曜日は、高松港から朝一番のフェリーに乗って直島へ。

ベネッセアートサイトに昨年オープンした「李禹煥(リウーファン)美術館」を見学。
展示作品は多くはないが、安藤忠雄の建築との相性がいいせいか、
彼の作品がもっている「余白」の魅力が活かされている。

ブルーの線が繰り返し描かれている「線より」をじっと眺めていると、
空間に奥行きが生まれ、そこに風が吹き、竹林にでも迷い込んだようにも思えてくる。
いちばんおくの「瞑想の間」の作品「対話」は、
よく見ると、白い壁に直接描かれている。
グレーのグラデーションがとても綺麗な作品。

今から十数年前、静岡県立美術館で始めて李禹煥の作品を見た時の
第一印象は、「これ(で)も芸術か」だった。

いまでは、「余白」が想像を膨らませてくれる
李禹煥の作品は、とても好きになった。

夜には帰宅。
NHK・ETV特集で放送していた「カズオ・イシグロをさがして」を見る。
2005年に出版された著書「わたしを離さないで」は映画にもなり、
臓器提供を目的としてこの世に生を受けたクローン人間を通して、
クローン(コピー)とオリジナルは何が違うのか(違わないのか)、
人間にとって大事なものは…、などを見るものに(読むもの)考えさせる。

番組の中で、カズオ・イシグロ作品に共通する「記憶」について、彼自身が
「記憶は死に対して、部分的ではあるが勝利する力をもっている」と語っていた。
「わたしを離さないで」は、静岡での公開はたしかこれからなのはず。
公開が楽しみだ。

そういえば、直島では観光客が手に手にカメラを持って
あちこちで写真を撮っていた。
最近では、自分も含めてどこでも見かける風景。

ところで、みんなシャッターを押した先に
何を期待している(いない)のだろうか。
思い出づくりであったり、この旅行が正解だったとの確認だったり…?

シャッターを押すことで「記憶」に何を留めようとしているのか。
自分の場合は、最近では撮った写真を現像どころか、
後で見返すことがめっきりと減ってしまっている。
…というか、ほとんどきちんと見ていないなぁ。

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