TBSラジオ「文化系トークラジオ Life」のメインパーソナリティ鈴木謙介(関西学院大学助教)氏の「ABCからCCCへ」というブログの投稿の中の、「CCCへの流れは、強烈なローカル性(ジモト意識)を生んでもいる」というコメントに興味をもちました。

「ABCからCCCへ」とは、“言葉通りには「青山ブックセンターから、TSUTAYAの営業母体であるカルチュア・コンビニエンス・クラブへ」的な状況に、文化的なものの存在感の中心がシフトしている”ことを表現しています。

「ABCからCCCへ」を引用(「Soul For Sale」より斜体部分が要約した部分です)してみます。

ABCのA=青山は、東京の「おしゃれな街」の代名詞だった。少し地域を広げて言えば、青山・表参道・原宿周辺というのが、昭和40年代頃から始まる紙媒体を中心とした文化の発信源だった…

B=書籍は、紙媒体が文化の中心だった頃、まさに花形の文化だった。単著作を頂点とするピラミッドがあり、雑誌誌面をたくさんのライターが飾っていた。けど、出版産業は90年代の後半から一貫して低落傾向にあり、広告費の総額で言えば、とうとうインターネットに追い抜かれてしまった。出版社を志望する文系学生はいまでも多いけれど、書き手になろうという人は少ない。

C=センター。この言葉は、色んな意味で「ネット以前的」な響きを持っている。中央集権という意味合いもあるし、何かを集約していることという意味もある…


「ABC」とは、「東京・に・文化・を・集約する」行為。
そして、「CCC」は、雑多な文化を日本中に広め、
一方でインフラとしてフラット化していく

他方でそこに強烈なローカル性(ジモト意識)を生んでもいる。東京から地方へ、書物から音と映像へ、集約から分散へ。
「ここに来れば何かが集められている」という、物理的な空間にモノが配置されることで価値を帯びるという、リアル店舗のもっとも重要な要素を体現する出来事なのだが、逆の見方をすれば「これはここにしかない」という形で、モノの流れに限界を作ることでしか、その付加価値性は生まれないということだ


わたしの印象では、「ABC」の活動は、日本の東京化のように見えて、地方の一部デザイナーや広告業界、多感な若者?をのぞいては、実は東京ローカルでの現象にすぎなかったのではないか、というもの。

一方で、CCCが提供する多様なコンテンツとインフラが、地方の多様な文化活動のどの程度の支えとなっているか、「強烈なローカル性(ジモト意識)を生んでもいる」かについては、いまのところ実感がありません。
どちらかというと、ABC以上に強固な中央集約的な流れが加速している気もします。

「ABC」と「CCC」の違いのひとつに、そこに“人”がどのように関わっているか、ということもあるのではないでしょうか。その点で、「ABC」に比べて「CCC」では“人”の関与よりも、システムの影響力が大きいのではないか。

「ここに来れば何かが集められている」「これはここにしかない」ということこそローカル性だとすれば、「ABCからCCCへ」のその先に、CCCのインフラを活用することで、「CCCから“S”CC(シズオカ・カルチャー・センター/静岡(地域)に、静岡(地域)文化を、集約する)へ」(“S”は各地域の頭文字を入れてください)というところまで行くことができれば、そこにローカル性が生まれるのかもしれません。
「CCCからSCCへ」の変化を起こすには、やはり“人”がポイントになるのではないでしょうか。

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海野 尚史 HISASHI UNNO

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