最近、新聞各紙でノキアの高級携帯電話
ヴァーチュが紹介されていますね。価格は最高600万。操作部分には、ゴールドやプラチナ、ダイヤモンドなどの貴金属が使われているということで「宝飾ケータイ」などと呼ばれているようです。記事を読むと素材やデザインに触れているものが多く、高級腕時計のような扱いとでもいいましょうか。こんな景気ではありますが、超富裕層の購買意欲は衰えていないという記事もありましたので、
ヴァーチュのように図抜けた(わたしたちの想像を超えた)商品は、底堅い需要があるのかもしれません。
で、わたしが興味をもったのは、モノとしての「宝飾ケータイ」ではなくて、記事の最後に1行程度で書かれていた利用者専用のコンシェルジュサービス。
飲食店の予約や航空券の手配などの専用窓口があり、利用者に代わってさまざまなサービスを提供するようです。600万円と月々の利用料5万2500円のを払える利用者だけがアクセスできる情報や、受けることのできるサービスとはどんなものなのでしょう?
インターネットが登場して以降、わたしたちは「世界中のどんな情報にも、誰でも、自由に、無料で、アクセスできる。便利になったものだ」と錯覚してしまいがち。
その一方で、自分の知り得ない、アクセスできない情報は、世の中にはどれほどあるのでしょう。
便利な検索エンジンも、探しているものが漠然としていて、キーワードが特定できない場合は使い物にはなりませんし、まだまだ発展途上。
ヴァーチュの記事を読みながら、600万円は特定の情報サービスを受けられるコミュニティへの入会金で、着飾ったケータイが入会促進用のノベルティにも思えてきます。
「宝飾ケータイ」というより「コンシェルジュケータイ」!?
わたし個人は、ゴールドやプラチナで着飾ったケータイよりも、
トゥールビヨンなどの機械式時計のほうが惹かれますね。