先週の土曜日、細野晴臣のコンサートに出かけてきたことは
こちらに書いた。
その日は、東京芸術大学美術館で開催している「
夏目漱石の美術世界展」を見た後、
早稲田南町の漱石公園に寄って来た。
ここは、夏目漱石が晩年の9年間を過ごした「
漱石山房」跡。
ここには高浜虚子や寺田寅彦、内田百閒などが通い、サロンのようだったという。
いまは猫塚と漱石の胸像ぐらいしか見るものはないが、
公園の管理人さんによると4年後に「漱石山房」が復元される計画があるらしい。
「漱石山房」はベランダ式回廊がめぐる和洋折衷の、
当時としてはかなりハイカラ(わかりますか?)な家だった。
俯瞰図(画:中山繁信、写真下)を見れば、漱石山房の特異な間取りがよくわかる。
T字形のこのようなカタチの家は、いまでも随分と珍しい。

俯瞰図の一番右手の書斎で、漱石は『
それから』や『
明暗』『
こころ』などを書いた。
「硝子戸の中から外を見渡すと…」で始まる随筆『
硝子戸の中』の硝子戸とは、
この部屋の戸のことである。復元されたら、ぜひもう一度訪ねてみたい。
生前すでに人気作家だった漱石は、生涯借家住まいだった。
その理由が、お金に余裕がなかったというところが意外である。
大正三年三月二十二日の大阪朝日新聞に、「文士の生活」という題で
最後に住んだこの家についてこんな一文を書いているのでぜひ紹介したい。
「
私が巨万の富を蓄えたとか、立派な家を建てたとか、土地屋敷を売買して
金を儲けているとか、種々の噂が世間にあるようだが、皆嘘だ。
巨万の富を蓄えたのなら、第一こんな穢(きたな)い家に入って居はしない。
土地家屋などはどんな手続きで買うものか、それさえ知らない。
此家だって自分の家ではない。借家である…
(中略)
衣食住に対する執着は、私にだって無い事はない。
いい着物を着て、美味い物を食べて、立派な家に住みたいと思わぬ事は無いが、
ただ、それが出来ぬから、こんな處(ところ)で甘んじて居る。
私は家を建てる事が一生の目的でも何でもないが、やがて金が出来るなら
家を作ってみたいと思って居る…」(『漱石山房の思い出』新宿区)
自分にたいする風評を気にしている漱石というのも興味深い。
いま漱石が生きていたならTwitterあたりで、自らボヤイていたかも…である。
それから、ロンドン留学時代も含めて、生涯借家住まいだった漱石は、
はたしてどんな家を作ってみたいと思っていたのだろう。
下の家は『
我が輩は猫である』を書き上げた千駄木の通称「猫の家」。
もちろん借家である。現在は明治村に移築され、保存されている。
この春、明治村で見学してきたときの話は
こちら。
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