フリー編集者の
仲俣暁生氏が主催したイベント
『雑誌に未来はあるか?ー「小さなメディア」と自主流通の可能性』
に参加した後、お礼のメールを送ったついでに
「雑誌の未来を語るときに、みなさんが描いている雑誌の理想とはどんな姿か、
そこに興味があります」
と書いたところ、
「回答は
ブログ「海難記」上で公開して戻します」
との返事をいただいていました……▼仲俣氏からの回答が
『「部数」から理想の雑誌を考える』
と題して
ブログに公開されていました。
読者コミュニティのサイズ(部数)を前提とした
既存のフォーマットにとらわれない新しいジャンルの雑誌で、
それに関わるライターやデザイナーにも
適正な対価が支払われるだけの経済合理性のある雑誌…、
ぼくも同感です。
出版に携わる人は
・ネットやケータイなどメディアが多様化した
・フリーマガジンなど情報価値が下がっている
・再販制度など出版業界を取り巻く制度疲労 etc…
売れない理由探すのには熱心ですが
「自分の作っている本や雑誌を今の時代にあった媒体に
根底から作り直してみよう」
と本気で取り組んでいる人は少ないように思います。
(しずおかオンラインの本作りも、まだまだ改善の余地があります)
人が欲しいと思う商品を
マーケットの大きさに合わせて
適正な価格で提供する、
このきわめて当たり前のことが
不思議なことに出版界では当たり前ではなかったようです。
一例でもかまわないので、
“既存のフォーマットにとらわれない新しい雑誌”が
はたして、どんな姿で、どんな読者コミュニティとの間で成立するのか、
とても興味が惹かれます。
まずは、「プロトタイプかもしれない」として紹介されている雑誌
「Monocle」を探してみよう。
(仲俣暁生『「部数」から理想の雑誌を考える』より一部抜粋)
「実売が数千部から数万部で、しかも高齢読者に支えられている「論壇誌」「文芸誌」は、現役世代への影響力を考えると、もはや実質的にはミニコミと同等かそれ以下程度といったほうがいい。もちろん、ほとんどの雑誌が単体では赤字だろうが、それを悪くとらえるのではなくて、むしろ、この程度の小さな読者のコミュニティに支えられて存続しているという事実を認め、今後もその読者コミュニティが実質的に機能するようにしていくことが大事だと思う
こうした数字を並べてみたのは、別に「雑誌に未来がない」ということを主張したいからではない。逆に、なんでいつまでも同じフォーマットの雑誌ばかりで、新しい「雑誌ジャンル」が生まれてこないのか、ということが不思議なのだ。
お茶を濁すような書評とかカルチャーレビューなんて一切なくていいから、ひと仕事したらライターに10万なり20万なりのギャランティが入って、そのくらいのコストをかけて書かれた文章が、知性と判断力と、それを生かせる現場をもった、日本にも5万人ぐらいはたぶんいるだろう人たちに、きちんと届くような雑誌がほしい。こんな雑誌があれば自分でも書きたいし、それよりなにより、実現できるなら編集のほうをやりたい。デザイナーにとっても、ゼロから腕を振るういいチャンスだと思う」