清里現代美術館

男子用小便器にR. Muttと署名をして「泉」とタイトルをつけたデュシャンの作品を知った時の、どう反応したらよいのかと戸惑った瞬間、沈黙やノイズで表現したジョン・ケージの、脈絡を感じ取れない音楽を聞いた時の落ち着かない気分、ローリー・アンダーソンのデジタル・パフォーマンスをナマで見た時の、よくわからないけど、きっと新しいカッコイイに立ち会えているんじゃないかと思えた高揚感…。それらが、ぼく自身の数少ない現代美術体験の記憶である。いずれも、作品の意味するところは理解できなかったけど、既成の価値観から脱却しようとするエネルギーと自由な空気だけは強く印象づけられた。

はじめて訪れた清里現代美術館で、ひさしぶりにそんな気分を満喫。「過去の経験や自分の引き出しに収まらないむずむずした心の動き、説明できない体験にこそ、大切な何かがある」という宮城 聰さん(SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督)の言葉を思い出す。

入り口付近の、巨大な布で建物や橋を包んだりした作品で知られるクリストの記録から始まり、ヨーゼフ・ボイス、アーノル・ライナー、ジョン・ケージ、そして日本の前衛芸術家たちも参加したフルクサスの資料や作品群などが常設展示されている。床に座りながらヨーゼフ・ボイスのパフォーマンス映像を見ていると、館長さんが作品の見どころを説明してくれたうえに、別館では、40数年をかけてすべての作品と資料を個人でコレクションしたというIさん(館長の弟さん)が、これまでの収集方法や苦労話などを聞かせてくれた。Iさんによれば、夏が過ぎたら清里現代美術館を閉館するとのこと。

上の写真は、前衛作曲家ジョン・ケージの『
フォンタナミックス
/シルクスクリーンとプラスチック版』(1982)。

清里現代美術館



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