熊本地震被災地の調査・視察に参加した際に、玉屋通りにある橙書店に寄ってきました。橙書店は、隣の「orange」という名前のカフェ&雑貨店に併設(カフェの厨房と書店のレジは店内でつながっている)されていて、店主Tさんのプライベートな書棚をそのまま公開しているような品揃えと雰囲気が特徴の小さな書店。このような私的で個性的なお店が営業的に成り立つ(実際のところはわかりませんが)街は、住む人に恵まれているんじゃないかと思います。震災後のお店が気になって寄ってみたのですが、以前と同じように営業していて安心しました。

没後20年を迎える星野道夫関連の本や、この春出版された「スーザン・ソンタグの『ローリング・ストーン』インタヴュー」も、橙書店の棚によく馴染んでいました。この日は、立ち読みしていたら、そのままホテルで読み続けたくなった穂村弘と山田航の共著「世界中が夕焼け―穂村弘の短歌の秘密」を購入。支払いの際に、震災の時のことを少しお聞きすると、比較的早く再開できたけど、近々お店を引っ越すことにしたとのこと。そして、綺麗なオレンジ色の移転のお知らせをいただきました。









「一般社団法人静岡木の家ネットワーク」さん主催による熊本地震被災地の調査・視察に参加させていただきました。「一般社団法人静岡木の家ネットワーク」様は、浜松市内の地元工務店を中心に70社以上の住宅関連会社が集まり、住宅性能の向上を目的に、新しい建築技術の情報共有や長期優良住宅の推進などに取り組んでいるJBN(全国の地域工務店組織)の連携団体です。

今回は、熊本県益城町の調査・視察、南阿蘇村の応急仮設住宅の視察、そして熊本の地元工務店・エコワークス様では社長の小山さまによる発災後の顧客対応などについて、体験に基づいたお話を聞かせていただき、とても中身の濃い視察となりました。

築年数の新しい家は大丈夫で古い家が弱い、という単純な状況ではないことが、現地を視察してみると分かります。耐震基準をクリアしている新しい家でも損壊している。倒壊している家の被害の大きな箇所を確認しながら、専門家のみなさんがその原因を推察しながら調査する現場に同行できたことは、とても貴重な体験。

静岡県及び愛知県三河地域の地元工務店様の情報を発信する住宅情報媒体「イエタテ」を運営している弊社としても、今後発生するとされる東海・東南海地震への備え、住宅の耐震に関する情報発信及び啓蒙などを通じて、今後の家づくりに生かしていただけるように取り組むことの重要性を再認識しました。また「一般社団法人静岡木の家ネットワーク」様には、今回とても貴重な機会をいただき、改めて感謝します。

両側の家々が損壊している通りを目の前にすると、家々や電信柱の垂直水平が歪み、2階の高さにあるべき屋根が地面近くに見えるなど、被災の大きさと、そこに暮らしていた方々への思いも交わって、平衡感覚を失う様な気持ちになりました。熊本のみなさまの一日でも早くの復興をこころより願います。









 この夏出かけた熊本では、夏目漱石が暮らした内坪井旧居を見学しました。ここは、漱石が住んでいた当時の場所に現在もそのまま残っている貴重な住宅。千駄木の通称「猫の家」(現在は明治村に移築)同様、広縁に腰を下ろして庭などを見ていると、そのまま根が張りそうな気持ちになります。耐震性や快適性、エコなどが重視され、最近主流になりつつある北国生まれの高機密高断熱住宅とは真逆の住まいですが、広縁や内と外の境があいまいな風通しのいい畳の部屋ほど、心地よく贅沢な空間はないなぁ、などとぼんやり過ごしてしまいました。昼でも明るすぎない書斎では、猫の背を撫でる漱石が出迎えてくれます。家の裏には、随筆家の寺田寅彦が書生として住まわせてくれと頼んだと伝えられる馬丁小屋も残っています。

 ・「漱石山房」
  http://unno.eshizuoka.jp/e1081704.html
 ・「我が輩の生まれた家」
  http://unno.eshizuoka.jp/e1030787.html



======遠州バザール==========
■イベント開催日時:
10月3日(土)・4日(日) 10:00~16:30(4日~16:00) 
■場所:浜松市総合産業展示館 
※入場無料
■オフィシャルHP:http://enshubazaar.com/index.html
■主催/遠州バザール実行委員会
静岡県浜松市浜北区平口5584-12(株)鈴三材木店 内 TEL.053-585-1000




 先週土曜の朝まで熊本に滞在していたこともあって、阿蘇山噴火の速報がいつもよりも身近に感じられました。これまでのところ人的被害は報告されていないようですが、大きな災害にならないことを願っています。

 鹿児島から熊本へは、JR肥薩線で行こう。鹿児島中央から吉松までは、特急「はやとの風」に乗って、それから駅弁「百年の旅物語 かれい川」も食べて…。ホンネは、駅弁「百年の旅物語 かれい川」を食べるために特急「はやとの風」に乗ろう。ついでに山線を楽しみながら熊本まで足を延ばそう…。今回の鹿児島行きの楽しみのひとつだった駅弁「百年の旅物語 かれい川」と肥薩線の旅は、台風15号の影響で八代ー人吉間が運休となってしまったため断念しました。
 それにしても、九州駅弁グランプリ常連の弁当と、水戸岡鋭治氏デザインの特急列車、そしてスイッチバックとループ線、日本三大車窓の一つである矢岳越えなどを一度に体験できるこのルートには、心が魅かれます。この3点セットの旅は、いつか実現したいものです。今回は、地元の魚に精通した枕崎浜友会監修による「枕崎の浜めし」を味わいながら、九州新幹線で熊本に向かいました。



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 昨日のブログに書いた、ポテトサラダを食べに鹿児島まで出かけたときの話の続きです。そのお店「からあげ松幸」の暖簾をくぐったのは夕方5時すぎ。鹿児島はまだまだ明るく、店内には、ほかに誰もお客はいませんでした。ポテトサラダと手羽先のからあげをつまみにして、屋久島の焼酎「三岳」を飲みながら、「観光で、はじめて鹿児島にきました」とカウンター越しにご主人に話すと、だったらこんな本がありますよと、2冊の本を持ってきてくれました。

 一冊は鹿児島の温泉のガイドブック、そしてもう一冊が、例の岡本仁の『ぼくの鹿児島案内。』。多くの人の手にとられたとみえ、ずいぶんと年季のはいった『ぼくの鹿児島案内。』のページをめくりながら、「ぼくと同じような人は、世間に数限りなくいるもんだなぁ…」などと少し酔った頭で感心していると、「この本を書いた岡本さんはね、風体は山下清にそっくりなんですよ。とても文章を書くような人にはみえません」とご主人。「でも、最近は、このように主観的に書かれたものが読まれているようですね」と、気になることばが…。

 「温泉は、このちかくの銭湯で十分ですよ。鹿児島は、どこの銭湯も温泉だからね」、そして「岡本さんの本に紹介されているところは、岡本さんだからわかる良さがあるわけで、誰にでも楽しめる、というものじゃないんじゃないですか…」。ゆっくりと、そして朴訥と話すその中身にうなってしまいました。その後も、ご主人が小学生の時に遠足で桜島に登ったときのお話や、鹿児島ラーメン談、温泉なら指宿(いぶすき)の砂蒸し温泉だね…など、ご主人セレクトの「ぼくの鹿児島案内。」を、楽しく聞かせていただきました。ホテルへの帰り道、「岡本さんだからわかる良さ…」というご主人の言葉を反芻しながら、自分のおすすめを人に伝えることの難しさを実感した夜でもありました。

 こちらは鹿児島二日目の夜にでかけた薩摩料理とおでんの店「味の四季」。里芋の田楽も、黒豚串焼きも、もちろんおでんも、とにかくどれも素材の味がひきたっていておいしい。さつま揚げは必食です。



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タグ :鹿児島

 岡本仁の『ぼくの鹿児島案内。』を読んで以来くすぶり続けていた鹿児島熱を冷ますためには、やっぱり鹿児島に行くしかない…。ということで、富士山静岡空港を利用してでかけてきました。飛行機は定刻よりも少し遅れて昼12時頃に出発し、午後1時30分には鹿児島空港に到着。鹿児島便は初めての利用でしたが、静岡から90分(「こだま」で静岡-東京間と変わらない)で九州最南端に着いてしまうことに、あらためて驚きました。

 空港から鹿児島中央駅まではバスで約50分。そのままホテルにチェックインして、天文館方面にぶらぶらと散歩。時計の針が5時を少し回ったことを確認して、「からあげ松幸」の暖簾をくぐりました。お目当ては、ここのポテトサラダ。鹿児島まできてポテトサラダ?と思われるかもしれませんが、『ぼくの鹿児島案内。』を読んでいただければ、その気持ちはわかっていただけると思います。

 お店にはいっても反応がないので、「ごめんください。営業してますか」と二度ほど声を掛けると、奥のテーブル席のベンチ椅子に横になっていたご主人がゆっくりと体をおこして、「どうぞ」とカウンター席をすすめてくれました。入口右手の棚にずらりとボトルキープされていた銘柄「三岳」を眺めて、まずは同じ「三岳」を水割りで注文。そして、「松幸」の看板メニューである手羽先のからあげをお願いしました。

 実は、ポテトサラダは単品メニューではなく、手羽先のからあげの付け合わせ。隣の席の夫婦に出された、不釣り合いなほど山盛りのポテトサラダを見て「どれほどここに通えば、あれくらいポテトサラダを増量してもらえるのだろう…」とうらやむ岡本仁の言葉を思い出しながら、よく冷えたポテトサラダと、揚げたての手羽先をいただきました。とてもクリーミーなポテトサラダももちろんですが、あつあつの手羽先は肉厚で香ばしく、これまで食べたどんな手羽先よりもおいしい。正直に主人にそう話すと「そうですか。だとすれば、それは鶏がいいんじゃないですか…鶏は熊本のなんだけどね」。その冷めた反応に、なぜかうれしくなる。屋久島の焼酎「三岳」に心地いい酔いを感じつつ、鹿児島熱が徐々に治まっていく鹿児島の夜でした。


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高松まで来たついでに、週末は牟礼にある「イサム・ノグチ庭園美術館」と、
直島の「李禹煥美術館」に足を延ばす。

「イサム・ノグチ庭園美術館」は、晩年にイサム・ノグチが過ごした
牟礼のアトリエと住まいが美術館となっていて、
約150点ほどの彫刻作品が展示されている。
素材である石が、彫刻という方法で彼に手を入れられることで、
内部のエネルギーが解放されて、それがイサム・ノグチの作品に共通する
「張り」を産んでいるのではないかと思う。

深澤直人が、『デザインの輪郭』(TOT0出版)の中で
「張り」ということについてこんなことを書いている。

「輪郭は動いている。輪郭には、相互にさまざまな関係の力が加わっている。
そのものの内側から出る適正な力の美を「張り」といい、
そのものに外側から加わる圧力のことを「選択圧」という」。
イサム・ノグチの彫刻は、内側からの適正な力が輪郭に力強さを与え、
それが美しい「張り」を形成しているということか。

以前はイサム・ノグチの作品から何かを感じることはなかったのだが、
今回ここに来て作品に触れてみて、印象が大きく変わった。
どの作品も力強いし、とても自由にみえる。
彫刻が並ぶ庭園は、背景に見える屋島の眺めも含めて、
ひとつの素晴らしい空間作品となっている。とても気持ちがいい。

日曜日は、高松港から朝一番のフェリーに乗って直島へ。

ベネッセアートサイトに昨年オープンした「李禹煥(リウーファン)美術館」を見学。
展示作品は多くはないが、安藤忠雄の建築との相性がいいせいか、
彼の作品がもっている「余白」の魅力が活かされている。

ブルーの線が繰り返し描かれている「線より」をじっと眺めていると、
空間に奥行きが生まれ、そこに風が吹き、竹林にでも迷い込んだようにも思えてくる。
いちばんおくの「瞑想の間」の作品「対話」は、
よく見ると、白い壁に直接描かれている。
グレーのグラデーションがとても綺麗な作品。

今から十数年前、静岡県立美術館で始めて李禹煥の作品を見た時の
第一印象は、「これ(で)も芸術か」だった。

いまでは、「余白」が想像を膨らませてくれる
李禹煥の作品は、とても好きになった。

夜には帰宅。
NHK・ETV特集で放送していた「カズオ・イシグロをさがして」を見る。
2005年に出版された著書「わたしを離さないで」は映画にもなり、
臓器提供を目的としてこの世に生を受けたクローン人間を通して、
クローン(コピー)とオリジナルは何が違うのか(違わないのか)、
人間にとって大事なものは…、などを見るものに(読むもの)考えさせる。

番組の中で、カズオ・イシグロ作品に共通する「記憶」について、彼自身が
「記憶は死に対して、部分的ではあるが勝利する力をもっている」と語っていた。
「わたしを離さないで」は、静岡での公開はたしかこれからなのはず。
公開が楽しみだ。

そういえば、直島では観光客が手に手にカメラを持って
あちこちで写真を撮っていた。
最近では、自分も含めてどこでも見かける風景。

ところで、みんなシャッターを押した先に
何を期待している(いない)のだろうか。
思い出づくりであったり、この旅行が正解だったとの確認だったり…?

シャッターを押すことで「記憶」に何を留めようとしているのか。
自分の場合は、最近では撮った写真を現像どころか、
後で見返すことがめっきりと減ってしまっている。
…というか、ほとんどきちんと見ていないなぁ。



今日は長崎から博多へ移動。出発までに少し時間があったので、市内観光の続き。
それほど期待せずにでかけた長崎歴史文化博物館でしたが、江戸から近代にかけての展示の工夫や長崎奉行所の一部復元など見所が多く、気づいたらあっという間に2時間も経っている……▼


長崎に来たのは初めてなので、まずは街全体を見渡せる場所へ……▼


海野 尚史 HISASHI UNNO

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