「“鷹匠”は、静岡の代官山」。いつの頃から、そう例えられるようになったのか、誰が言い出しっぺかは知りませんが、静岡市民であれば一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。そして「“鷹匠”は、静岡の代官山」と口にする時に共通しているのは、ちょっとした照れや、苦笑いがともなっていること…(笑)鷹匠を代官山に例えるのは、もちろん褒め言葉。静岡人は、代官山という街がもっている良いイメージを重ね合わせています。同時に、つい、照れや苦笑いがともなってしまうのは、ちょっと誉め過ぎ?、ということも自覚しているからでしょう。

建築家・隈研吾とジャーナリスト・清野由美の両氏が、21世紀の東京の都市開発の現場を歩きながら“思考錯誤”した『新・都市論TOKYO』(集英社新書)を読みながら、

代官山とは多少の(もしかして大いに)落差はあるにしろ、静岡市民にとっては身近な、鷹匠という街の特性と魅力を、客観的に再定義してみるのも悪くないと思う。すでに、地元の不動産・建築業界、行政の方などが、そのあたりをまとめているかもしれませんが…。

新・都市論TOKYO』では、「汐留」「丸の内」「六本木ヒルズ」の次、第4回目に「代官山」を取り上げています。

東横線の終点渋谷駅の一つ手前、繁華街のすぐ脇にある閑静な住宅街。超高層のオフィスビルや超高層マンションなど、上に向けた街づくりではなく、低層のヒューマンスケールな街。がつがつしていない品の良さ…。

古くから商売している酒屋や古本屋、中華料理店,クリーニング店などに混じって、若い世代による個性的なブティックやアートショップ、ケーキ店、レストランなどが混在し、“村化”する街。そして、表通りよりも、裏通りが“カッコいい”。

静鉄の新静岡センターと一駅先の日吉町駅の間を鷹匠とすれば、こちらも繁華街に隣接した住宅地。お店の数は遠く及ばないまでも、同じように古くからの商店と新しい個性的なお店が混在する。そのあたりが、鷹匠を「静岡の代官山」に例える要因でしょうか。

地元の大地主(米穀店)と建築家・槇文彦が、ヒルサイドテラスからヒルサイドウエストまで、30年以上の時間をかけてゆっくりとヒューマンスケールな街づくりに取り組んできた代官山も、2000年の代官山アドレス(地下5階、地上36階の超高層ビル)の登場以降、メジャーな大建築の脅威?にさらされつつある。

そういえば鷹匠にも、静岡では高層の部類に入る大きなマンションやオフィスビルが増えてますね。このあたりも、代官山に似た状況かもしれません。

最近では代官山からお隣の中目黒に、話題の中心が移っている気もします。さて静岡では、鷹匠の次はどこに…

最終章「対話編・そして北京」編で、海外を旅行した人の反応には三段階あるという話を、隈研吾が紹介しています。

最初の段階は 「やっぱ、オレんチが最高だ」

二番目の段階 「結局、どこに行っても変わりませんよ」
        あるいは
       「すべてがオレんチだ」

旅慣れてくると、この段階に達するのだそうです。

そしてその先、三段階目の反応はこの言葉。みなさんは、どう受け止めますか。

       「世界のどこも自分の居場所ではない、
        自分の家ですら、オレんチではない、と自覚すること」

※新・都市論ウェブーTOKYO
http://shinsho.shueisha.co.jp/column/toshi/index.html

『新・都市論TOKYO』〜「鷹匠」と「代官山」は似てますか?新・都市論TOKYO』(隈研吾、清野由美:集英社新書)

著 者: 隈研吾, 清野由美
出版社: 集英社
発売日: 2008/01/17



第一回 汐留
・悲しい「白鳥の歌」が響き渡る21世紀の大再開発
第二回 丸の内
・東京の超一等地に三菱の「余裕」がどこまで肉薄するか
第三回 六本木ヒルズ
・森稔の執念が結実した東京の蜃気楼
第四回 代官山
・凶暴な熊に荒らされる運命のユートピア
第五回 町田
・「郊外」かと思ってたら「都市」だったという逆説

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