国内での雑誌販売部数のピークが1996年、以来10年連続で縮小傾向にあるのですが、いまだに底を打つ気配はみえません。目立つのは、時代の変化についていけない出版界を嘆く本や「雑誌は元気がない」という声ばかり。
この季節は、慣れないリクルートスーツを着て就活中らしき学生さんをよく見かけますが、これでは出版界に魅力を感じるどころか先行きに不安を感じて、新しい才能が他の業界に行ってしまうのも仕方ないと思います。
先頃出版された、雑誌『POPEYE』(平凡出版:現マガジンハウス)の創成期を振り返った椎根和氏の「POPEYE物語」(新潮社)は、当時のよき『POPEYE』読者(現在は40代後半〜50代か)や、『POPEYE』をきっかけに雑誌の面白さを発見して出版界に足を踏み入れた編集者あたりが真っ先に読むのではないかと思います…が、できれば出版界に関心がある若者や学生にこそ読んでほしい。
業界やマーケット云々ではなく、雑誌というメディアの持っている魅力と可能性について、きっと何かがつかめる一冊だと思います。何をつかむかは、あなた次第ですが……▼椎根氏は、1976年の『POPEYE』創刊から、木滑良久・石川次郎体制で作った最後の3周年記念号(76号)(「ホゲホゲ気分で日本は安心」という小特集も今では考えられませんね)の頃までの編集現場の様子を(驚くほど詳細に)振り返りながら、今なお『POPEYE』が伝説(特に創刊から50号前後まで)として語り継がれている理由を探っています。
世の中とは“街”と“モノ”と“人”の関係であり
「“モノ”を賞賛すると、“事件”になる」
ことに気づいた木滑・石川氏が
それらを読者に伝えるための新しい雑誌には
「新しい言葉と新しい文体の開発が絶対に必要」と考え
「みんなで作る雑誌(Come Join Us)」を標榜。
既存のライターではなく、読者代表としての学生や若いフリーのライターを
起用していくことで、新しい言葉を獲得してく様子が活き活きと描かれています。
誌面作りだけでなく、雑誌ビジネスという点でも新しいスタイルを作り上げています。
販売部数が全てという時代にあって、かなり早い時点で、
第一段階の目標は30万部、第2段階は広告売上増、と見定めていたようです。
「部数は100万部を目指すのではなく30万部に抑えて、後は広告売上で大きく稼ぐ」
という木滑氏の言葉は、今の(広告主体の)雑誌の成り立ちをすでに予見しているよう。
そして実際に、創刊号10万5千部印刷して実売5万3400部でスタートした雑誌が
「目的の部数まで持ち上げるためにできること」に次々手を打ち
50号目で実売32万部(返品率4.8%)を達成する。
木滑編集長は、マスコミ向けやスタッフに対して表立っては、“独断”と“偏見”という編集姿勢を打ち出しながら、編集現場(編集長が絶対に手放したくない台割まで)は副編集長の石川氏にまかせて、電通雑誌広告局とのつきあいをはじめとして、自分は裏側では徹底して広告集稿に走っていた気配が伺われます。(このあたりはあまり触れていませんが…)
雑誌が元気ないとすれば、それは今に始まったことではなく、
当時でも「ダメな雑誌はダメだった」わけで、どの業界でも同じこと。
時代が求める“新しい言葉と文体”を編集者が生み出すことができれば、
そこに新しい雑誌の姿が立ち上がってくるはずだ、
椎根氏はこれから出版界に入ってくる新しい編集者たちに
そう伝えたかったのではないかと思います。
同時に、雑誌でもネットでも、そしてこれから登場するであろうまだ見ぬメディアであろうと、編集者の仕事とはそういうものであり、それこそが編集という仕事の面白さであると。
さらにいえば、メディアが増えている今こそ、
編集者の果たす役割・活躍できるフィールドは広がっているといえます。
残念ながら、そのような人材は、ネット業界に集まっているのかもしれませんが…。
海外取材に行き「記事になるネタが何もありません」と現地から国際電話を
かけてきた編集者に、石川次郎氏が怒鳴りつけた言葉…
「自分の目に見えないものを、寄せ集めて
それをあるように見せるのが、編集の仕事じゃないか」
この仕事がもっているそんなある種のいかがわしさも、
個人的には好きですね(笑)
就職活動中の学生のみなさんへ。
編集というシゴトは飽きません。
本当に面白いですよ!