「広告批評」30年の区切り社会人になってすぐに読み始めた雑誌のひとつに、天野祐吉さんが編集していた「広告批評」(マドラ出版)があります。

20代前半の頃は、言葉に携わる仕事に関わりたい、それなら「コピーライター」というものを職業にすれば実現できるのではないか(…残念ながら自分にそんな資質がないことを、早々に自覚する力だけはありました)、そんな単純な気持ちから「広告批評」を読み始めたように記憶しています。

毎号旬な広告をとりあげて、その広告の作り手や時にはスポンサーへのインタビュー、そして広告から広がるコミュニケーション(作り手が意図した広告の背景と、その広告の受け手である社会(消費者)がどう反応したか)などに、興味の対象は移っていきました。「広告批評」は気づけば20代の頃もっとも濃いつきあいをした雑誌のひとつになっていったわけです……▼今月も「広告批評」を手にして、天野祐吉さんがコラム広告時評の中で「“温暖化”ではなく“加熱化”と呼ぼう」と書いているのを、言葉にこだわる天野さんらしいなあぁ、と思いながら読んでいたのですが、奥付を開いたところこんな「お知らせ」がありました。

「広告批評ー30年の区切り」としての休刊のお知らせからは、ラジオ広告や雑誌広告の扱い高をインターネット広告が抜いたというニュースを聞いたとき以上に、今がひとつの時代の転換点であることを実感させられます。

同時に「広告批評」というメディアが、インターネット広告の批評を展開する器にはなりえなかったのか、または、天野祐吉さん、島森路子さんのお二人にインターネット広告を批評する力(気持ちも含めて)を持ち得ないという判断がどこかであったのか、それともその他の要因か…、天野さん自身の言葉で聞いてみたい
「広告批評」30年の区切り

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