第三十番 厳光山 宝厳寺 通称竹生島

4月の中旬、長浜港から高速船に乗って、竹生島へと向かった。竹生島は、琵琶湖北部に浮かぶ周囲2kmほどの小さな島で、全島原生林で覆われている。東南の一カ所が、高速船の船着場となっている。

その週末は真冬並みの寒波に包まれて、4月もなかばというのに気温は7度。昼頃から雨ということだったので覚悟してでかけたのだが、予報が外れてくれたのはありがたかった。それでもどんよりした雲に覆われた湖上の風は冷たく、さすがに乗客はみな、高速船の船室に籠ったままである。

一人甲板に出て、寒さに震えながら琵琶湖の景色を眺める。前方後円墳の原型とか、神の住む島ともいわれる竹生島の姿を、しっかり見たかったのだ。高速船の前方に見えてきた竹生島(写真真ん中左)の特徴的な姿は、前方後円墳というより、不謹慎にもひょっこりひょうたん島を思い出した。

第三十番 厳光山 宝厳寺 通称竹生島

船着場の目の前にある数件の売店を抜けると、石段の登り口がある。167段の石段を登ると宝厳寺の本堂が見えてくる。宝厳寺のご本尊は、江ノ島、厳島とともに日本三弁才天の一つに数えられる大弁財天。ご詠歌は「月も日も 波間に浮かぶ竹生島 舟に宝を積むここちして」である。弁財天をお祀りしている竹生島を、湖上に浮かぶ宝舟と見立てた、昔話にでもありそうなきれいな歌。月の夜の金波銀波に浮かぶ竹生島を見てみたい気がする。

第三十番 厳光山 宝厳寺 通称竹生島

下の写真の手前が国宝の唐門、その奥に観音堂。観音堂に祀られている千手観音は、西国三十三ヶ所の第三十番札所に当たる。重文の舟廊下を抜けると都久夫須麻神社へとつながっている。拝所から琵琶湖にむかう鳥居へかわらを投げ、鳥居の間を通ると願いが叶うらしい。300円を払うと2枚のかわらを渡される。願かけは滅多にしないのだが、神の島ならばということで、珍しく願いを書いて投げてみた。1枚は首尾よく鳥居を通過したが、1枚は大きく外してしまった。投げる前にかわらに書いた内容を確認しなかったので、どちらが通過したのかわからないが、わからないほうがが気は楽である。


第三十番 厳光山 宝厳寺 通称竹生島


   豊臣秀吉の御座戦「日本丸」の舟櫓を利用して建てられたと伝えられている舟廊下。
第三十番 厳光山 宝厳寺 通称竹生島

300円を払うと2枚のかわらを渡される。サインペンでかわらに願いを書く。第三十番 厳光山 宝厳寺 通称竹生島

湖北は李朝白磁のようで、寂しいけれども暗くはなく、しっとりしていても湿っぽくない。長浜をすぎると高月という駅になり、そこから東へ入ればまもなく渡岸寺で、ほとんど観光客が訪れない境内の堂宇に貞観期の十一面観音がある…

竹生島に行く気になったのは、白州正子が『かくれ里』の中で触れている琵琶湖湖北の魅力についての上の文章を読んだことがきっかけ。彼女は、湖北に点在する千手観音や十一面観音像などの巡礼に旅立つのであるが、ぼく自身はいまのところ、仏像に魅入られてはいないし、十一面観音にときめくこともない。それよりも“李朝白磁のよう”というたとえに興味を惹かれた。“李朝白磁”のような土地とは、どんな風景なのかと。

で、李朝白磁のような湖北のどこを目的地としようかと迷った末、西国三十三ヶ所のひとつである竹生島に決めた。湖北にかぎらず今回がはじめての近江体験だったが、近江は歴史も古く、奥が深い魅力のある土地であることは実感できた。帰路、長浜から彦根を過ぎ、近江八幡へと向かうときなど、下界に降りてきた気分になったほどである。竹生島では、李朝白磁という例えを実感することはなかったのが残念だが、湖北に限らず近江には別の季節にもう一度来てみたい。

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海野 尚史 HISASHI UNNO

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